新作&おすすめアニメのすべてがわかる!「月刊ニュータイプ」公式サイト

rssボタン

万城目学&野島一人「メタルギア」対談[前編]

メタルギア ソリッド ファントムペイン METAL GEAR SOLID THE PHANTOM PAIN

野島:万城目さんとお会いするのは2度目ですね。たしか『メタルギア』25周年記念パーティのときにご挨拶させていただきました。
万城目:そうですね。……というか、野島さんて小島監督じゃないんですね。ぼくはてっきり監督ご本人だと、いまのいままで思ってました!
野島:すいません。今日の対談は、監督に間をとりもっていただいてセッティングしていたので、事前に監督から聞いておられたかと……。
万城目:この3作は、どのくらいのペースで書いたんですか?
野島:3冊でだいたい10か月くらいですね。
万城目:早いですね! ぼくなら3年かかります!
野島:いや、ゼロからつくったわけじゃなく、ベースのシナリオがあるからなんとかなりました。ぼくは『メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティー』(以下『MGS2』)が、ほんとうに好きなんです。
万城目:ノベライズ版の『MGS2』は特にラストの盛り上がりがいいです。完全にゲームを著者が自分のものに消化してますね。
野島:ありがとうございます。『メタルギアソリッド ピースウォーカー』(以下『PW』)のときは見よう見まねでなんとか最後まで書いた、という感じでしたが、とにかく『MGS2』が好きすぎて、これをなんとかしたい、と思ったんですね。ゲームでしかできない仕掛けを小説ならどう表現できるのか、と考えて、生意気にも出来る、と思ったんです。で、それは『MGS2』単独では成立しないから前作の『メタルギアソリッド』(以下『MGS』)の話も必要だから、という発想で二部構成にしました。
万城目:『PW』はときどきゲームの場面を忠実になぞっている印象がありましたが、『サブスタンス』は、一個の独立した小説になっている。「この人、誰なんやろう、一年で急激にうまくなってる!」なんて生意気なこと思いながら、読んでいました。すみません。
野島:ありがとうございます。ぼくの悪い癖で、おもしろい小説や映画を観ると、これはメタルギアだ!と賞賛する癖があるんですが、万城目さんの『とっぴんぱらりの風太郎』を読んだときも、これはメタルだ! と興奮しました。お話のはじまりは、おなじみの万城目ワールドで、ニートの忍者の風太郎が登場するんですが、いろんな思惑に巻きこまれて最後は壮絶なバトルになる。おまけに戦争と経済の話もあって、ぼくにとってはメタルギアで得る興奮そのものでした。風太郎はぼくから見たら完全に雷電です。
万城目:そんなことはじめて言われました(笑)。風太郎、雷電みたいにかっこよくないですよ。『サブスタンス』で特におもしろかったのは、スネークがスニーキングモードになるでしょ、自分で「これから、スニーキングモード!」って宣言するんです。そうすると気づかれない。なるほど、こうやって文章で表現するんだ、って新鮮でした。
野島:あれは完全に忍者です(笑)。ぼくの勝手な解釈では、スニーキングってそう簡単にできないんです。ザ・ボスとかスネークとか、FOXHOUNDのメンバーや、マスター・ミラーくらい。雷電はようやくできるようになる。だから、『メタルギアソリッドV ザ・ファントム・ペイン』(以下『MGSV』もしくは『V』)のノベライズでは、一度もスニーキングのシーンが出てこないんです。

万城目さんが最初にプレイしたのは『メタルギアソリッド2 サブスタンス』だったそうですが、そのときの印象ってどうでしたか? 『MGS2』が発売されたのが2001年で、そのときは賛否が激しく分かれました。ソリッド・スネークでプレイしたかったのに雷電じゃないか! という文句がけっこう激しかった。いまではシリーズ中、屈指の傑作だという評価を得ていますが、当時は毀誉褒貶の嵐だった。これって、いまの『MGSV』をめぐる状況にとても似てると思うんです。
万城目:ぼくは、主人公がスネークじゃない、ってことはまったく気になりませんでした。ものすごく楽しんでプレイしてたら、あっという間に最後までクリアしてて。で、仕掛けに気づくんです。「あ、こういうことだったのか」っていう驚きがありましたね。
野島:そうか、万城目さんはスネークでプレイしてない状態で『MGS2』から入ったから、スネークじゃないという違和感はそもそもなかったんですね。
万城目:そうそう。雷電、全然悪くない。このお兄ちゃんカッコいいって思ってました。でも徐々に、ゲーム中で起きていることが本当のことなのかあやふやになってきて、最後には混沌としてきて恐くなるんですね。自分が操作しているのが誰なのかわからなくなる不安がありました。大佐とかがおかしくなるでしょ、『川口能勢口、絹延橋――』とか駅の名前(注:兵庫県にある能勢線の駅名)を言いだしたり……あれがほんと恐かったですね。何やってるかわからなくなるし(笑)。
野島:『MGS2』はもともとつくる予定がなかったそうですね。以前、監督から聞いた話ですが、『MGS』が予想以上にヒットしたので、続編をつくることになったと。スネークはすでにアウターヘブン、ザンジバーランド、シャドー・モセスといくつものミッションを遂行した伝説の傭兵なわけです。いっぽうで『MGS2』はこれまで『MGS』で遊んだことのない人にも楽しんでもらいたい。そのときに、はじめてプレイする人に、いきなり伝説の傭兵になってもらうのは難しい。初心者がスネークでプレイして、それが弱かったら伝説の傭兵じゃなくなるし、それ以前にスネークの伝説や来歴を初心者にも伝えなければならない。それをストレスなく解決するためには、雷電というキャラクターをプレイヤーキャラクターにするのがいいだろうと。その雷電をサポートする立場として、スネークは別個のキャラとして登場させる。スネークは客観的な存在になるから、伝説の傭兵という彼の物語はゆらがないわけです。これって、『MGS』がただのゲームじゃなくて、「物語のあるゲーム」ならではの仕掛けだと思うんです。プレイヤーが雷電とともに伝説の傭兵に近づいていく。この構図って、『MGSV』にとても似ていると思います。
万城目:ああ、そうかもしれないですね。ぼくはいま、『MGSV』はサイドオプスまで全部クリアした状態なんですが、メインミッションを終えたときに「小島さんはなぜこうしたのか」を考えたんですね。で、「裏切らなければいけない」と小島さんは思ったに違いない、と。たとえば、みんなはこういう物語を求めているとして、創り手としてはいかにそれを裏切るか、ということが肝だったに違いない。裏切ると言っても、それは、ユーザーを突き放すとかそういう意味じゃなく、みんなが望むのと違う所からいかに創るか、物語を語るかということを考えたんだろうと思うんです。
小説家なら読者を、ゲーム作家ならプレイヤーを裏切らなければいけないんです。みんなが求めている物語じゃないかもしれないけど、みんなが予想できる物語だったら、小島さんは『MGSV』を何年もかけて創らなかったと思うんですよ。裏切らなければならない、そのために誰も思いつかないところから切りこむ、というところに小島さんの創るというモチベーションが生まれるわけで、そうじゃなかったら『MGSV』は生まれなかったということを強く思いましたね。
野島:万城目さんはまったくまっさらな状態で、なんの情報も入れずに最後までプレイしたんですよね。ラストの真相にたどりついたとき、どういう気持ちになりましたか? 万城目:プレイ中に、なんとなく影武者ぽいなと気になりながらも、「これどういう話になるんだろう」と思ってました。でもそれがまさか自分だ、プレーヤー自身だとは思わなかったです。真相がわかって感じたのは、ずっと隣にいた自分の妻が突然知らない人になっていた、みたいなちょっとホラーな気分でした。一緒に暮らしていた家族が実は知らない他人だった、みたいな感じです。こういうゲーム体験は、まったくしたことがなかったです。
野島:ぼくはノベライズの作業のときに、シナリオを読ませてもらっていたんですが、あの真相を知って、これは『MGS2』以上に誰も創ったことのないゲームだ、って興奮したんです。『MGS2』もゲームでしかできない大発明だったわけですが、今回はそれを超えていると。『MGS2』は雷電というキャラを通じてユーザーがスネークに限りなく近づくという仕掛けだったわけですが、今回のはユーザーがスネークそのものになる、伝説を聞く側ではなく創る側に踏みこませる仕掛けです。『MGS2』を経験したユーザーは、あれと同じことをやってももう驚かない。その予想を越え、裏切るようなとんでもない仕掛けだと思ったんです。
万城目:そうです。小島さんが新作を創るモチベーションは、そこにこそある。それはみんなわかっているはずなんです。
野島:小島監督のツイートに“『V』は運命に縛られたスネークを解放し、そしてスネークに縛られたプレイヤー自らがバトンを引継ぐ事で伝説の円環を完成させるものです。その訣別は決して幻肢痛ではなく、さらに前に進む為の埋まらない『永遠の空白』となるはず”という発言がありました。このあとに個人的にメールをいただいたのですが、そこにはこんな内容のことが記されていました。
初期のビデオ・ゲームには物語がなかったけれど、『メタルギア』はそこに物語を付け加えた。主人公のスネークをプレイヤーが操作することで一緒に物語をつくってきた。その後、シリーズが続くことによってプレイヤーはソリッド・スネークやネイキッド・スネークになってメタルギア・サーガという伝説をつくってきました。最後の『メタルギア』は、主人公であるスネークをプレイヤーに返すしかない。今後の物語は自分でつくる。円環をつなぐ、完成させる、というのはこういうことだ、と。これが映画のように一方通行のメディアだったら、『V』のラストのようなことは不可能だったけれど、ゲームだからこそできたことだ、と。いままで一緒につくってきた物語をユーザーに返す。それが『V』の本当の意図だった。
『V』でユーザーが影武者にならなければ、その後のビッグボスは殺されてしまっていた。しかも、『V』以前に、最初の『メタルギア』でソリッド・スネークになったユーザーは、ビッグボスをすでに殺しているんです。だから最後の作品では、もう一度、ユーザーが物語の中に入って、自らの手で円環を閉じる。そうしてはじめて物語はユーザーのものになるんだということなんだと思うのです。映画にも小説にもできない、ゲームというメディアだからこそできる「ユーザーと一緒に物語を創る」という、『メタルギア』が当初からやってきたことの集大成こそが今回の『V』なんじゃないか。
万城目:みんながそこまで理解するには、もう少し時間がかかるんじゃないですかね。みんなのビッグボスやスネークへの思い入れが強いのは当然なので、それがほどけたころにようやく理解できるんじゃないかなあ。あらかじめ決められたストーリーどおりに進んでいくという思いこみがあるから、突然、ゲーム画面から問いかけられると、バトンを渡されると、自分で処理できなくなるんですよね。そういうゲーム体験を、ぼくも含めてしたことがないから。『MGS2』でバトンがスネークから雷電に渡っただけでも、それほどの拒否反応があったなら、今回はそれ以上のものあっても仕方がないかもしれない。何せ、渡される先が自分ですから。
野島:『MGS』ではストーリーに分岐がありましたが、『MGS2』ではストーリーの根幹にかかわる設定として分岐を排除していますね。それ以降のシリーズでも分岐はない。『MGS2』では最後のほうでスネークが雷電に「たしかに今回、おまえが自分から何かを選ぶことはなかったかもしれん。だが、その間におまえが考えたこと、おまえが感じたことは、おまえ自身のものだ」と言っています。これも『V』と同じ構造ですよね。あらかじめ定められたルートのとおりに進めていくと、ゲーム側から問いかけられる。ここまで来たのはプレイヤー自身であって、そこで感じたものはプレイヤー自身のものだ。そこから先は自分で考えていいんだ、という。それこそが監督からのメッセージであり、MGSが他のゲームと違う最大の特徴です。ユーザーをキャラクターに没入させて、それこそが自分だったんだ、と返せる仕掛けって、映画や小説ではなかなか難しいと思うんです。これこそゲームならではっていうか。
万城目:小説だとキャラクターを操作させることはできないですもんね。それは根本的に小説では無理だと思う。
野島:さきほど万城目さんは「理解するにはもう少し時間がかかる」とおっしゃいましたが、『MGS2』が発表された直後も非難がけっこうあって、まだ作家になる前の伊藤計劃さんがいわば最前線に立って「こんなゲームを喜ぶのは俺だけだ!」と絶賛していたんです。
万城目:そうだったんですね。
野島:実はこの当時からぼくも小島さんとは交流があったんですが、伊藤さんほどにはゲームの本質を理解できていませんでした。あの複雑なストーリーや、小島さんが投げかけたメッセージをわかっていたのは伊藤さんだった。おそらく彼は、その後もずっと『MGS2』のことを考えつづけていたんだと思うんです。S3計画が本当に意味するのは何か、自由意志とは何か、物語るということは何か、ということを考えに考えた末に、『虐殺器官』と『ハーモニー』が生まれたんだ、とぼくは解釈しています。『MGS2』って、お話としてはきれいに終わってないですよね。リキッド=オセロットの行方もわからないし。
万城目:それぞれのキャラのエピソードもそうですが、やっぱり言いようのない、現実の底が抜けるような恐怖感を残しますよね。
野島:そのゲームから受けた「終わらない」感覚の本質を、伊藤さんはしつこく考えた。それで得た答えのひとつが『虐殺器官』であり、もうひとつが『ハーモニー』だったとしかぼくには思えないんですね。今回の『V』の解説で小島監督が「空白があるから先に進める。この空白こそが『V』なのだ」と書いていますが、『MGS2』がそれぞれのユーザーに残した空白を埋めたのが伊藤計劃だったんじゃないかと。

【後編に続く】