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万城目学&野島一人「メタルギア」対談[後編]

メタルギア ソリッド ファントムペイン METAL GEAR SOLID THE PHANTOM PAIN

万城目:ゲーム同様、小説でもクワイエットのエピソードがすばらしかったですね。女五右衛門のような、男前ぶりでした。満を持して英語しゃべる砂嵐のシーンが、今作いちばんのグッとくるところでした。小説では最後、死んでますよね。あそこを読んで、やっぱりそうなんだ……って思いました。ああするしかないんだろうけど……。
野島:あれはぼくの完全な思いこみというか、シナリオを読んでこれはそういうことしかないだろうと。
万城目:そうか、野島さんはゲームが完成する前に原稿を書いているから、捉え方が違うのですね。
野島:監督からは「あれは死んでない」とあとから指摘されました。ゲームではそこは明確にしていない、と。ならもっと早く教えてよ、と思いましたが(笑)。
万城目:やっぱり、死んでないんだ。じゃあクワイエット、帰ってきてほしいですよ(笑)。
野島:でも、あそこでいなくなるからグッとくるわけでしょ。あの喪失感があってこそのクワイエットだから。でもゲーム上では、クワイエットは発病したかどうかも曖昧という設定なんだそうです。
伊藤計劃さんの『MGS4』の小説ではスネークは死んでますが、ゲームでは明示的には死んでないんです。監督がどこかで発言していましたが、当初はスネークとオタコンは、罪を償うために自首して死刑になる、という話でした。でも周囲の反対にあってそれはやらなかった。ゲームで映画の『死刑台のメロディ』のテーマが使われているのは、その暗示なんですね。スネークもオタコンも、客観的に見ればただの犯罪者ですからね。そのことにおいて、彼らは作中の悪役と同じはずなんです。だから『V』の小説では悪役のスカルフェイスに『死刑台のメロディ』の元になった現実の冤罪事件のサッコとバンゼッティのエピソードを語らせました。悪役のスカルフェイスがやったことは冤罪かもしれない、という意味ももたせたくて。
万城目:なるほど。今回のビッグボスたちも、世界秩序側の視点からみたら完全な犯罪集団ですよね。紛争に首をつっこんでそれで稼いでいるという、言いようによっては戦争マフィアでしょう。でも、ゲームをやっているだけだと、彼らのやっていることが犯罪だってことを認識しにくいんですよね。客観的に見れば、彼らのやってることはみんなアウト、とても支持できないことなんだけど、プレイしてるといい人たちに見えちゃうんですよ。だから今回、ぼくはヒューイ(エメリッヒ)がほんとに好きで。絶妙なタイミングでイラっとすることを言うでしょう(笑)。登場キャラの中で、いちばんの悪者みたいに見えるけど、じつはそうじゃないんですよね。もっともプレーヤーに近い感覚を持った一般人ですよね。そうは言っても、彼が口にするのは常に正論なんだけど、ムカつくんですよ(笑)。
野島:いままでのシリーズでも、敵はともかく、あんなに仲間たちと違う意見を主張するキャラっていなかったですよね。
万城目:そうなんですよ。あれがごく一般的な人間の反応ですよ。スネークやオセロットやミラーは、きっと激しい拷問にあっても決して口は割らないでしょうけど、ヒューイのような一般人なら、拷問にも耐えられないでしょうしね。最後にはわりと簡単に基地の場所を吐いちゃいますもんね。
野島:一般社会から見たら、ビッグボスたちは犯罪集団で、それでもマザーベースのメンバーはみんなスネークのようになりたいと思ってる。プレイヤーの視点からだと、それが正しいことのように、ヒロイックな行動に見えてしまう。
万城目:ヒューイだけが唯一の外側の視点なんです。でもゲームをやっているときは、その比較的まともな視点の持ち主をマザーベース全員で排除しちゃうんですよ。ヒューイが船で流されていくときも「きみたちは、ただの悪者なんだよ! きみたちはどうかしてる!」って、正論を言うでしょう。そうなんだけど、ムカつく(笑)。
だから、もしかしたらヒューイ以外の外部の視点から見たマザーベースの立場、という描写なり説明なりがあれば、もっとダイアモンド・ドッグズという存在がわかりやすかったかもしれないですね。ビッグボスたちがやっていることは、世界の大半からは悪としか認識されないことは、現実にいま世界で起きていることを、ぼくたちが実際にどう捉えているかにスライドさせて考えればわかるんですけど、それを納得するにはある程度、世界情勢についての知識や理解がないとわかりにくいかもしれないですね。そういう視点から見れば、ビッグボスが「悪に堕ちて」いることはあからさまですよね。マザーベースは核兵器ももっているし、ボスを含めた二、三人の極めて個性的で偏った思想の人間が集団の意志決定をしているし、危険極まりない集団ですよ。アメリカを筆頭に西側諸国から見たダイアモンド・ドッグズはこんなにも国際秩序を乱す悪の集団、愚連隊として報道されているとか、そういう描写があれば明解になったかもしれないですね。ビッグボスたちは自分たちの信念で活動しているけど、外部の報道では常にならず者扱いされているとか。もちろん、ビッグボスやミラーたちは、そう認識されているとわかった上で、より自分たちの存在感を増やす方向に進んでいくわけです。どんどん世界の悪者になっていく。
野島:ああ、そうですね。そういう視点があると、よりわかりやすかったかもしれません、小説版で強調したかったのは、「誰もがビッグボスになりたがっている、そしてそれは可能なんだ」ということでした。『MGS2』の小説で雷電や語り部の少年がスネークという英雄に感染したように、今回のマザーベースのメンバーは英雄に感染する。それはゲームのプレイヤーも同じはずなんです。プレイヤーはビッグボスになれる。そしてビッグボスたちの行為が犯罪であり悪であれば、それが感染して悪に堕ちる。ビッグボス=ユーザーが悪に堕ちていくお話が、『V』なんじゃないかと。
小説版の二章で、ダイアモンド・ドッグズの兵士が『第三の子供』の秘密を記したマイクロフィルムを回収に行くんですが、これはゲームではスネークのミッションなんです。この改変で「誰もがビッグボスになれる」ということを示したかったんです。
万城目:なるほど。それはわかるんですけど、やっぱりね、ゲームだと見た目がビッグボスでしょ。プレイヤーとしては遠慮しちゃうんですよ。「いやいや、ぼくそんなに強くないですから。ビッグボスなんておこがましい」って(笑)。見た目が雷電みたいに別のキャラだったり、もっとヘタレだったらまだいいんですよ。そしたらぼくらと一緒だから。
野島:ああ、そうですね(笑)、それはすごくよくわかる。ぼくのビッグボスも相当なヘタレですからね(笑)。 万城目:だから徐々に思うようになるんでしょうね。自分がビッグボスと名乗るに足ると思えるようになるには時間がかかる。

野島:スカルフェイスがわりとあっさりと死にますよね、これまでのシリーズならスカルフェイスとのボス戦があったはずなんだけど、今回はそれがサヘラントロプス戦になっている。ぼくもシナリオを読んだときに、あれ? って思ったんです。ここが一章のクライマックスなのに、って。ノベライズをやるときに監督に、「これは敵を倒したあとに、仲間を失っていく話なんだ」と言われたんです。敵を倒すというゲーム的な高揚感よりも、その後に仲間を失う喪失感を書いてほしい、と。スカルフェイスが死んでも報復心が残っていて、それが味方を失わせていく。それでレナードという小説だけのオリジナルキャラをつくりました。仲間、といってもさすがにオセロットやミラーは殺せないので、固有の名前をもったキャラを出そう、と。
万城目:プレイしてる最中から悲劇の予感は濃厚に匂うじゃないですか。でも、その悲劇を受け止めて消化するにも、やっぱり時間がかかるんでしょうね。
野島:クワイエットを失う直前のシーンがあるじゃないですか。ボロボロになったスネークと気を失ったクワイエットが岩陰に隠れていて、それをソ連兵が捜しにくる。で、兵士がクワイエットを咬もうとする毒蛇の頭を撃ち抜いて去っていくシーンです。あれを見せてもらって、ものすごく感動したんです。あの兵は、スネークたちに気づいていたはずなのに、見なかったことにして去っていく。
万城目:ああ、そう思いました? 実際そういう意図なんですか?
野島:あとで監督に聞いたら、どうとでもとれるような演出にしてある、と。でもぼくは、あのソ連兵は確信犯でスネークたちを逃がしたんだ、と理解したんです。名もないキャラクターのいちソ連兵が、最大の敵、復讐の対象をわざと見逃す。彼は彼で、報復の連鎖を止めようとした。こういうシーンに作品の本質的なメッセージがあるなんて、たまらん! と感動したんです。
万城目:深いなあ……。
野島:そしてそのあとのクワイエットの決断ですよ。もうこのあたりのエピソードは思い返すたびに泣きますよ(笑)。
万城目:だからクワイエットは帰ってこれないんですよね。頭ではわかるんですけどね、でも帰ってきてほしいなあ(笑)。
野島:『V』ってこれまでのシリーズに比べて、カットシーンやキャラのセリフ、ストーリー展開についても、いろいろな解釈の余地があると思うんですね。いっぽうで『MGS』や『MGS2』では、テーマをキャラクターのセリフで説明させている。それはハードのスペックの制約が大きかったせいで、それこそ行間を読ませるような演出が難しかったからじゃないか。『MGS2』であれば最後にスネークが雷電にセリフでテーマを説明してくれる。ぼくらはそれを文字どおりに受け止めればよかった。でも、『V』ではゲーム的な自由度が上がったのと同時に、物語の解釈の余地も広がったんじゃないかと思うんです。
もちろん、今回、サーガを完結させるために、オセロットをはじめとするシリーズを通じて登場するキャラの設定には改変があったりします。さらにイーライの「蠅の王国」についてのエピソードが「未完成」であるという反応もあります。
万城目:小説家の目から見れば、28年前に生まれた物語を、今になって完璧な整合性をもってひとつのストーリーにするというのは、無理がある。そんなことできる人間はいない、できるほうが不自然ですよ。物語は機械がつくるんじゃない。つじつまがあわないとろがあるのは当然ですよ。あってもそれはヒューマン・エラーなんだから。それも含めて自然な一人の人間が創った作品なんだから、愛そうよ、と思いました。
28年間、一つの作品に対し、高いモチベーションを保ち続けるというのは、同じ経験をした人が世界にほとんどいないくらい、難しいこと、孤独なことだと思うんです。今回の『V』が出たということが、何よりの成功、ミッションコンプリートだと思います。
「蠅の王国」については、本編の終わり方へのもやもやとした感じを消化できない、そういったストレスの格好の解消相手、攻撃対象になってしまっているように思います。みんな『MGS』が終わることを認めたくないんでしょうね。だからあのエピソードが宙ぶらりんなことにたいして、さまざまな意見が噴出しているのではないかと。個人的には、あれはなくてもよかったと思いますが。
野島:たしかに「蠅の王国」はなくても本編には影響がなかったとぼくも思います。イーライのその後である「蠅の王国」のエピソードは、それだけでも長い短編になる重量があるはずです。ひとつのまとまった物語として『V』を考えると、「蠅の王国」のエピソードを入れるのはバランスが悪いんです。スピンアウトとして別の物語にしなければ『V』という物語を崩してしまう。本来ならダウンロード・コンテンツで配信したりしたかったんじゃないのかなあ、と勝手に推測しています。
『V』というゲームを最後までやって、もう一度最初からたどり直すと、ラストに至るまでの展開に物語や設定の嘘はひとつも入っていない。けれど、解釈の幅はものすごく広い。それが「ユーザーにゲームを返す」ということなんじゃないか、と思います。これまでビッグボスやスネークが、モニターのこちら側にいるプレイヤーに語ったメッセージを、こんどはひとりひとりが創る。ぼくたちがビッグボスになることが、サーガを完成させる。これが『メタルギア』の最終的な攻略なんじゃないでしょうか。