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発売直前! 『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』の「PROLOGUE」(前編)を特別公開!

2023年4月よりSeason2がスタートするアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。同作のSF考証スタッフも務める高島雄哉が書き下ろした『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』第1巻が、2月25日(土)に発売されます。本書の【#0「PROLOGUE」】を前後編に分けて特別に公開します!

発売直前! 『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』の「PROLOGUE」(前編)を特別公開!
発売直前! 『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』の「PROLOGUE」(前編)を特別公開!(C) 創通・サンライズ・MBS

 

星もみえない闇の中で人は、みずからがたったひとり、孤立した存在であると思い知らされる。だんだんと激しくなる自分の呼吸だけが世界をみたしていく。

──スロールよりLF-03へ。パーメットリンク接続テスト再開。──3、2、1。

ヘルメット内に声がひびく。
LF-03と呼ばれた〈モビルスーツ〉のコクピットは暗く、操作系統(コンソール)のわずかな表示だけが、パイロットをかすかに照らしている。しかしその表情も感情もバイザーの光がさえぎって、うかがい知ることはできない。今は個人的な感情も感傷もいらない。パイロットはテストに集中する。

──インターコネクト確立。現在レイヤー31。コールを開始してください。

ふたたびの声に、パイロットは答える。

「了解。レイヤー31、コール開始」

オペレーターの指示を聞いて、パイロットは操作レバーのトリガーを引く。それはほとんど文字通り、機体のシステムへの呼びかけ(コール)だった。

──GUNDフォーマット、異常表示なし。レイヤー32接続。

「レイヤー32、コール」

モニターにレイヤー32を突破(クリア)したと表示された。

──コールバック確認。レイヤー33に接続。

パイロットは緊張をおし殺しながらトリガーに指をかけた。レイヤー32までは、かなり前にクリアしている。しかしどうしても33から先に進むことができないのだ。
たまたま33番目という以上の意味なんてないのに、今では33という数字まで忌々しく思ってしまう。

「レイヤー33、コール」

パイロットは右手でグリップのトリガーを引いて、そのまま前に倒す。
しかしメインコンソールにはエラーが表示される。
オペレーターにも情報は共有されていて、淡々と指示を出す。

──エラー。コールバックなし。レイヤーを10まで後退。

パイロットはもう一度レバーを引くが、何も起こらない。操作はだんだんと乱暴になっていく。エラー表示がくりかえされる。

「レイヤー10から再度レイヤー33へコール」

──エラー。コールバックなし。

またなのか。

「レイヤー33、コール」

──エラー。コールバックなし。

どうしてもクリアできない。
パイロットはしびれを切らして、

「LF-03よりスロールへ。〈GUNDフォーマット〉のスコアを上げることを要求」

却下(ネガティブ)──。テストの目的に反します。

「時間がないの。実行します」

──ちょっと、待ちなさい!

パイロットは再度レバーを引こうとする。
ここで別の端末から指示がはいった。声の主はオペレーターやパイロットよりもずっと高齢のようだ。

──エルノラ。今日はこのへんにしておこうか。

パイロットはその声だけは無視できない。
しかし、エルノラとよばれたパイロットは、グリップを握る手をいったん止めたものの、あきらめきれず、反論をこころみる。

「まだ危険領域に入っていません。レベルを上げてもう一度レイヤー33へ──」

──ここまでだよ、エルノラ。

すこしだけ語気が強くなった声に、エルノラ・サマヤの身体がわずかに反応した。バイザーのなか、エルノラは唇を噛みながら指示をうけいれる。

「……はい」

エルノラの声で、全天周モニターが外部ビューモードに切りかわった。
格納庫(ハンガー)では数十人のスタッフがいそがしく動き回っている。
オペレーターやメカニックが指示をだす。

「テスト終了。パーメット流入値の解析を開始して。──ええ、〈ルブリス〉の整備もはじめて」「了解」「解析はじめます」「異常変動の検知はどうします?」「変動前の微小な揺れに注意して、お願い」

エルノラがヘルメットのロックを解除すると、コクピットが消灯していく。
つづいて目の前のハッチが開き、エルノラはヘルメットをぬいで息をつく。

「ふう……」

エルノラのあせが宙にうかぶ。ここは無重力環境なのだ。
スタッフのあいだを抜けるように、ひとりの人物がコクピットに向かって移動してきた。無重力に慣れた様子で、ふわりとコクピットハッチに着地する。

「気負うな」

さきほどエルノラをいさめた人物だ。
エルノラは視線をむける。

「カルド先生」

「あんたで駄目なら、誰にもクリアはできないさ」

カルド・ナボ博士の言葉に、エルノラはうつむきながら答える。

「GUNDフォーマットの健全性をはやく証明しないと。評議会もこれ以上は……」

ヘルメットを持つエルノラの指に力が入る。
評議会とは〈モビルスーツ開発評議会〉のことだ。モビルスーツ製造企業のCEOたちがメンバーをつとめており、影響力はきわめて大きい。
カルドはエルノラをじっと見つめる。

「それであんたの身体がオシャカになっちゃあ、元も子もない」

「しかし──」

「──それにお迎えも来てる」

カルドは首をふってコクピットの外をしめした。

「え?」

エルノラが顔をあげると、声が聞こえてきた。

「ママ!」

幼子がふわふわと宙を泳ぐように近づいてくる。ぶつかっても大丈夫なように、ピンクのうさぎ型クッションを背負って。
幼子はしかし途中でバランスをくずし、あさっての方向へ飛んでいってしまう。

「ママーッ! あっ、あ? あわぁあっ!」

「エリィ⁉」

エルノラは驚いてコクピットから飛び出してハッチを蹴った。

「あああああ」

エリィ──エリクト・サマヤの体は回転して制御がきかなくなってしまう。カルドとちがって、無重力下での──あるいは重力があっても──体の動かし方がまだ身についていないのだ。

「エリィ!」

エルノラは両手を伸ばしてエリクトをうまく抱きとめた。
エリクトはえへへと笑う。

「ママ、パパが待ってるよ。ケーキ食べようよ、ケーキ!」

「ここに来ちゃダメって言ってるでしょ」

エルノラの小言を、エリクトは最後まで聞かずに横をみる。

「あのコ、まだ起きないの?」

エルノラもエリクトの視線をおいかけた。
母子の目の前には白いモビルスーツ──〈ガンダム・ルブリス〉がたたずんでいる。機体の各所にはメカニックたちがとりついて早速メンテナンスをはじめていた。
娘の言葉に、エルノラはテストの失敗を思い出してしまう。

「うん……。そうだね」

エリクトは母が落ち込んでいることにすぐ気づいて、ルブリスに話しかける。

「ダメでしょ。おっきしないと」

そのときエルノラの端末から声が聞こえた。カルドだ。

「ルブリスはまだ赤ん坊なのさ」

「あかちゃん?」

エリクトが見ると、カルドはハッチの上に立って、マイクにふれている。

「そう。寝返りもできない生まれたて。ここにいるスタッフみんなのこども。今はおまえのママがいろんなことを教えてやっているところだよ」

「ふうん。じゃあ、エリィのほうがおねえさんだね」

エリクトはルブリスを見つめる。

「エリィは何歳になったの〜?」

ルブリスの前の足場から研究員のナイラ・バートランが話しかけた。その隣には研究員でテストパイロットもこなすウェンディ・オレントもいる。
年齢を問われて、エリクトは右手で数をしめした。幼児用の気密服の手袋はミトンのように、親指以外はひとまとまりになっていて、何本なのかはよくわからないが、そのしぐさのすべてがナイラたち全員をなごませる。
そしてエリクトはうれしそうにさけんだ。

「四歳!」

宇宙空間にただよう小惑星に作られた人工居住空間〈フロント〉──エリクトが暮らすフロントの名は、北欧神話において愛と美そして豊穣と戦争を司る女神──フレイヤが支配する圏域〈フォールクヴァング〉から採られていた。


格納庫のモニターでは、誰が見るともなく、ニュースのライブ放送が流れていた。
宇宙港には〈ガンダム・ルブリス量産試作モデル〉が多数搬入されている様子が映し出され、次に製造元であるオックス・アース社の地球本社に切りかわった。
映像を見ながらニュースキャスターが話しはじめる。

「フロント第3自治区は20日、オックス・アース社製モビルスーツ──ガンダムタイプ購入予算の決議案を可決。同社の兵器システムは、搭乗者への生命倫理問題が大きな懸念とされており、オックス社及びモビルスーツ開発評議会の説明責任が問われています」

解説者がうなずきつつコメントする。

「〈GUNDフォーマット〉は元来、宇宙環境で生じる身体機能障害の補助を目的とした医療技術です。しかし研究元である〈ヴァナディース機関〉をオックス・アース社が買収、GUNDフォーマットがモビルスーツへ軍事転用されると、今度は〈データストーム〉による身体へのダメージの問題が浮上しました」

画面には様々なGUNDの応用例が映しだされた。義手や義足、さらにはより広範囲に、身体と有機的にむすびついた機構が埋めこまれている。
合意が成立し、買収する側のオックス・アース社代表と、買収される側のヴァナディース機関代表が握手をする。
つづいてベッドで治療をうける人々の映像が流れる。生命維持装置につながれたまま、目はぼんやりと、視線はさだまらない。

「想像してください。非生物機構で動く18メートルもの巨大な体を、無理やり人体とリンクさせて制御させるんです。搭乗者の負荷は計り知れませんよ」

コメントのあいだも、フロント第3自治区の宇宙港には〈ガンダム・ルブリス量産試作モデル〉が次々と運び込まれていく。
カルドの研究施設は中規模で、スタッフの住居は人工重力区画にある。
誕生日パーティー用にデコレーションされたサマヤ家のリビングでは、ナディム・サマヤが同じ特番ニュースを見ていた。作業服にはオックス・アース社の社章がつけられている。ナディムはオックス・アースの社員なのだ。
コメンテーターがつづける。

「今回のモビルスーツ増強は、地球サイドに軍拡の口実を与え、両者の緊張感を加速させる恐れもあり──」

ナディムの顔には不満の色が強く浮かぶ。

「うちの製品を、すき勝手いってくれるなあ」

今日は愛娘の誕生日だ。こんな番組を見ている場合ではない。リモコンでテレビを消すと、暗転した画面にはナディムの姿が映る。エプロンをかけ、手にはリモコンとプレートを持っている。
玄関ドアの開く音が聞こえて、ナディムはふりかえった。

「パパ! ただいま!」

エリクトがいきおいよく飛びこんでくる。
ナディムはプレートとリモコンを置いてエリクトを出迎える。

「おー、おかえりー」

エルノラもリビングに入ってくる。
ナディムは娘を受けとめて、グルグルと回す。

「きゃはー」

エリクトは大喜びだ。部屋にはHAPPY BIRTHDAYの張り紙や、折り紙のうさぎたちがならんでいる。
つづいて入ってきたエルノラがパーティーの飾りつけを見て、

「ステキ。──ごめんね、すっかりやらせちゃって」

「大丈夫。エリィが手伝ってくれたからね」

ナディムが娘にほほえむ。

「こっちはエリィがやったんだよ」

「すごいね! とってもきれい」

母にほめられたエリクトは得意そうだ。
ナディムは娘を床に下ろして、

「エリィ。お誕生日帽子もみせてあげたら」

「うん!」

エリクトが元気よく部屋の奥に走っていくのを、両親はほほえみながら見送る。
しかしナディムは、エルノラに元気がないことに気がついた。

「……またレイヤー33?」

エルノラはナディムの問いに、つい目をそらしてしまう。しかしすぐにとりつくろった硬い笑顔を見せた。

「早くクリアしないと。みんなに迷惑かけちゃう」

しかし責任を感じているのはナディムも同じだった。

「すまない。上があせってルブリスを公開(ロールアウト)しなけりゃ、こんなこと……」

「スポンサーは必要よ。ナディムのおかげ」

「期日まで評議会がおとなしくしてくれればいいんだけど……」
 

 
一方、別のフロントでは宇宙における有力企業の役員たちがそろって座っていた。モビルスーツ開発評議会がひらかれているのだ。

「あと一時間で会見です」

若きヴィム・ジェタークの報告に、その父であるジェターク社CEOが唇を歪めて笑う。

「これでオックス・アースも終わりだな。地球居住者(アーシアン)ふぜいが出しゃばるからこういうことになる」

サリウス・ゼネリは慎重だ。

「ことがたやすく運べばいいがな。カルド・ナボ博士が応じるかどうか」

サリウスに同調するように、他のCEOたちがつぶやく。

「しかし大丈夫なのか。民間企業の分を超えるのでは……」「何をいまさら、この期に及んで」

サリウスの背後に立っていたデリング・レンブランが話に割って入る。〝分〟という言葉に反応したのだ。

「超えてしまえばいいのです」

デリングの語調は強かった。
参加者一同がざわつき、デリングに対してするどい視線をおくる。

「デリング、発言は求めていない」

サリウスに名指しされたデリングだが、かまわずに発言をつづける。

「ヴァナディースの連中がガンダムを完成させてからでは手遅れになります。我々モビルスーツ開発評議会は決断するべきです。人類の安寧のために、魔女への鉄槌を」


エリクトの目の前にケーキが置かれ、いよいよパーティーがはじまろうとしていた。
主役であるエリクトは落ちつかないらしく、椅子の上に立って、

「ケーキ! ケーキ! ケーキ!」

「じゃあ、ろうそくライトさすよー」

しかしライトをさそうとするエルノラの手が、モーター音とともに脱力した。手首ががくんと下がり、ろうそくライトがテーブルに落ちてしまった。

「あらら」とエルノラ。

「ママ?」

「ごめん。ちょっと待っててね」

エルノラが左手で右そでをまくった。エルノラの右腕は機械の──GUNDの──義手だ。エルノラは慣れた手つきで義手を外し、内蔵ユニットを交換して再設定する。
エリクトは母の腕を見つめながら、

「ママのガンド、すぐとまっちゃうね」

「そうね。でもこの技術がなかったら、ママはもう生きてないのよ」エルノラは娘にほほえむ。「だから、カルド博士はママの先生で、ママの命の恩人なの」

部屋の棚にはエルノラとカルドの写真がおかれている。
エリクトはぱっと笑顔になる。

「ばーば、えらい!」

「エリィ」

ナディムが娘をたしなめる。
エルノラは笑って、今度こそろうそくライトをケーキにさした。

「先生は呼ばれ方なんて気にしないわよ」

「だからって。恐れおおいよ。GUND理論の大御所に」

そう言うナディムの端末に呼び出しが入った。ナディムの表情がさっと曇るのを見て、エルノラも不安になる。

「本社から?」

ナディムはうなずき、娘に語りかける。

「エリィ。ちょっと待っててな」

「えーっ!」

エリクトはずっと楽しみにしていた誕生日パーティーを中断されて、むくれてしまった。ナディムはその愛くるしい表情にたまらなくなる。

「パパ、お仕事なの」

「ごめんな」

「やだーっ! 今がいい、今ー!」

ナディムが自室に入ったあとも、エリクトはさわぎつづけ、むーっとほっぺたをふくらませるのだった。
リビングを出て暗い自室に入ったナディムは──娘の声にためらいながら──ドアを閉めて本社からの通信に出た。モニターに現れたのはナディムと同世代の同僚、ヤマオカだ。地球本社に勤務していて、スーツにネクタイをしている。

「どうした?」とナディム。

「評議会が開かれているらしい」ヤマオカの声は暗い。

「期日はまだだぞ」

ナディムはパソコンを立ち上げ、端末は机のうえに、インカムを耳に装着した。

「──デリングだ。奴が裏で動いている」

その名を耳にしたとたん、ナディムの眉間がけわしくなる。

「例の軍人上がりか」

「何をしかけてくるかわからない。そっちも気をつけろ」

同時刻──中型輸送船〈ベガベント〉が宇宙港に近づいていた。
港の誘導灯が点灯し、管制室からの通信がベガベントの船橋(ブリッジ)に入る。

──フォールクヴァングより輸送船ベガベントへ。コントロール173。

「こちらベガベント。173と交信。ゲート入り口まで距離22」

──軌道確認。3番ゲートに入港してください。

このとき管制室の近く、小惑星表面に設置された大型パラボラアンテナの基底部に、気密服の人物が近づいていた。
手に持つ端末はアンテナに接続されており、画面上には何らかのプログラムが展開している。ほどなくしてシステム侵入が完了して、フォールクヴァング全体の通信機能が停止してしまった。
工作員が顔を上げると、そのバイザーにちょうど輸送船が映り込んだ。


フォールクヴァングの格納庫にも、ガンダム・ルブリス量産試作モデル2機がおかれていた。
一方のコクピットにいるウェンディに、外からナイラが話しかける。その手にはドリンクがある。

「船が来たよ。ウェンディ、搬入手伝って」

ウェンディは、コクピットでデータ整理をしながら文句をいう。

「最近関税率あがりすぎ。すっごい癪」

オックス・アース社は地球資本であり、多くの局面でスペーシアンが有利な取引に応じるよう強いられてきた。そのことがウェンディは不満なのだ。
ナイラは諭すようにウェンディに話す。

「輸送はただじゃないの」

「スペーシアンは独占し過ぎなんだよ」

「あとでご褒美あげるから。ね?」

ナイラは容器を器用に押して、ドリンク一口分をウェンディに向かって飛ばす。ふるふると目の前で球体になったドリンクを、ウェンディはパクっと食べるように飲み込む。

「ズルいなあ」

ウェンディは困ったように苦笑しながらコクピットを出る。なにかと陰性なウェンディは、陽気でしっかり者のナイラにいつも調子を狂わされる。だけどウェンディはこういう関係を気に入っている。それはナイラも同じだ。
ふたりは寄り添い合って貨物の搬入へ向かった。


キッチンでエルノラが声をあげた。

「あったよ、エリィ。これでしょ」

その手にはこども用のみじかいフォークがにぎられている。エリクトが使いたいと言うから、ずっと探していたのだ。
しかし返事はない。リビングにはエリクトがつくった誕生日帽子だけが落ちていた。

「エリィ……?」

そのころエリクトは母の心配も知らずに研究ドックにいた。視線の先には〈ガンダム・ルブリス〉がひっそりとたたずんでいる。

「早く起きてよ!」

エリクトはルブリスにさけんだ。

「パパもママも、みんなあなたのことばっかり。きょうはエリィのたんじょうびなのにっ!」
エリクトは手足をぶんぶんと動かすが、その反動でくるくると回転してしまった。

「あ、あ……」

エリクトはあわてて機体につかまる。

──そいつは悪かったね。

その声はルブリスから聞こえてきた。エリクトにはそう感じられたのだ。
エリクトは驚いてルブリスを見つめる。しかしルブリスの眼は暗く、何かを考えているのか全然わからない。
コクピットのハッチが開き、カルドが姿をみせた。カルドの声だったのだ。

「ばーば」

エリクトはホッとして、カルドにむかって跳んだ。
カルドはハッチのタラップを蹴って、そのままエリクトを抱きかかえた。

「また一人で来たのか? エルノラにもダメだって言われたろう」

「だって……」

すねているエリクトは、不満そうにルブリスを見た。コクピットの中には、カルドが持ちこんだ道具がうかんでいる。

「ばーばも、このコがだいじ?」

「大事だよ」

カルドは即答する。

「どうして? あっちのおへやのふたりはだいじじゃないの?」

小さな指はとなりのドックをさしている。エリクトの言う〝ふたり〟とは、さきほどウェンディとナイラが整備していたブルーグレーの機体、ルブリス量産試作モデル2機のことだ。
カルドはかたわらに立つ白いモビルスーツ──ガンダム・ルブリスを見上げながら、

「こいつは、特別だからね」

「とくべつ?」

「エリィや、エリィのパパやママが宇宙で生きていくためには、適応できる身体が必要なのさ。こんな兵器じゃなくてね」

カルドはルブリスをまっすぐに見据える。

「ルブリスは、私たちが目指すGUNDの未来。人類の可能性を切り拓く、新たな扉」

「……よくわかんない」

エリクトはむずかしい顔をみせる。

「ならコイツと話してみるかい?」

「あ……」

カルドはふっと笑って、ますます混乱したエリクトをコクピットに導き入れた。
このときカルドがどこまで考えていたのか、ただの気まぐれだったのかは本人にしか──あるいは本人にも──わからない。しかし理由はともかく、とにかくエリクトはこのときガンダムのコクピットに自分から入ったのだった。
エリクトが座ると、気密服のアタッチメントとシートが、自動的にケーブルで接続される。同時にコクピットが起動し、シートとコンソールが起き上がる。
カルドはメインコンソールを操作しはじめた。

「おいで、エリィ。ここに手をあててみな」

カルドにうながされてエリクトがもごもご動くと、シートと背中をつなぐケーブルが伸びる。
エリクトの右手がモニターにふれると、生体認証がはじまった。ひとすじの光が走り、エリクトの生体情報が表示されていく。

「これでルブリスはエリィを認識した。この世界は怖くないって、教えてやってくれ」

カルドはやさしくほほえむ。
エリクトはすこし考えてからコンソールに──ルブリスに──話しはじめた。

「エリィはね、エリクト・サマヤっていうの。ケーキはすき? きょうはエリィのたんじょうびなんだよ。おたんじょうびのぼうしもかぶるの」

エリクトを笑顔で見つめていたカルドだったが、デバイスが鳴って、すぐに応答する。

「どうした?」

通信はフォールクヴァング内の会議室にいるオックス・アース社幹部からだった。

「評議会が。会見を行うと」

幹部のうしろのモニターでは、評議会の会見がはじまろうとしていた。すでに事態は進んでいるのだ。

「聞いていないぞ」

カルドの声がとたんにきびしくなる。

「オックス・アースは外されています」

「わかった。すぐ行く」

カルドは通信を切り、エリクトを見ながらすばやく思考する。このままエリクトひとりにしてもルブリスが動くことはない。会議室にエリクトを連れて行こうかとも考えたが、つまらない政治的対応をこの子に見せても何の意味もない。

「エリィ、ひとりで戻れるか?」

「うん」

「ママに心配かけるなよ」

カルドはそう言うと、ふりむきもせずに出ていく。
エリクトはカルドの姿がみえなくなると、たちまち部屋に戻ることを忘れて、ルブリスと再び話しはじめた。

「ケーキはね、イチゴがのってるの。ママがね……」
 

すでにフォールクヴァングに入った輸送船よりもはるかに巨大なモビルスーツ搭載艦〈ユリシーズ〉が、同じ宙域を進んでいた。船舷には剣を持つ人物が描かれている。それは〈ドミニコス隊〉の部隊章だったが、星々のほかにそれを見ているものはいなかった。
艦長席でラジャン・ザヒが回線を開いた。

──ユリシーズの配備、完了しました。いつでも行けます。

その報告を受け取ったデリングは、評議会フロント内の会見会場につながる通路にいた。会場では記者会見の準備が進んでいる。スタッフがデリングの胸にピンマイクを取りつけていた。

「本社ともども、予定通りしかけろ」 

──評議会の承認は?

スタッフが離れてようやく自由に話せるようになったデリングは、舞台に歩を進めながら、小声でラジャンにこたえる。

「責任なら私が取る」

それはあきらかな攻撃命令でありながら、仮に撮影されていても問題のない言葉でもあった。会見場には大量のカメラドローンが浮かび、それをうわまわる数の記者がつめかけている。デリングはどこまでも慎重なのだった。
デリングが歩む壇上には、すでに評議会のメンバーがならんでいる。
まずはサリウスが代表として声明を発表する。

──我々〈モビルスーツ開発評議会〉は先ほど、ガンダムタイプのモビルスーツ開発をすべて凍結することに決定しました。

その言葉に記者たちがざわつく。
サリウスの言葉はフォールクヴァングの会議室でも聞かれていた。

──これに伴い、評議会は同機を開発したオックス・アース社に対し、企業行政法による強制執行を行います。

会議室にいたオックス・アース社とヴァナディース機関の面々は愕然としてしまう。

「そんな……」「ウチを切り捨てるつもりか……」

そこにカルドがノックもなく入ってきて、

「入港予定の船は」

「輸送船が一隻。そろそろ着くころですが」

「とめろ! 入港させるな」

カルドは評議会──デリングの狙いを察しはじめていた。
すぐさまスタッフが連絡をはじめる。
しかし船はすでに入港しつつある。カルドの気づきは一歩遅かったのだ。
フォールクヴァング通信室の窓から、着船が確認される。
職員の網膜が認証され、ボーディングブリッジの扉が開く。職員二人は宇宙服の装いだ。
扉の奥から、サイレンサーをとりつけた銃口がすっと差し込まれて、職員の一人が気づいた瞬間には銃声2発──直後に血が飛び散った。
無重力のために血も遺体も宙にうかぶ。
武装した侵入者はその体を押しのけながらフォールクヴァング内部へと進み、通路からGOサインを出した。つづいて銃を構えた兵士たちが何人も入ってくる。
遠く離れた会見場でサリウスがはじめた宣言は、フォールクヴァングにも届いていた。

──そしてモビルスーツ開発の秩序と倫理を守るため、我々は監査組織〈カテドラル〉の設立も決定しました。ご紹介します、カテドラル統括代表、デリング・レンブランです。

サリウスの言葉をうけて、デリングが壇上に進む。報道陣のカメラのフラッシュが会見場を満たす。


同じタイミングで、ナディムとヤマオカも苦々しく思いながら会見をみていた。

「最初から俺たちを受け入れるつもりはなかったんだ。やつらは経済じゃなく暴力で俺たちを──」

そのとき──ナディムやヤマオカが知るよしもないのだけれど──工作員がしかけた侵入プログラムが発動、通信用パラボラアンテナが機能を停止してしまった。
ヤマオカの言葉がとぎれ、モニターがフリーズする。通信が遮断されてしまった。

「ヤマオカ……! くそっ!」

画面にはNO SIGNALの文字だけが映る。
ナディムはインカムをたたきつけた。詳細はわからなくても、通信への攻撃がされたのはあきらかだった。そしてその首謀者も。

「スペーシアンの狭量が……!」

デリングをはじめとする宇宙居住者(スペーシアン)が──あるいは宇宙にある多くの企業が──地球の企業であるオックス・アース社に対して敵意をむけてきたのだ。
ナディムが自室を出ると、パーティーの準備をしていたはずのふたりがいなくなっていた。

「エルノラ? エリィ?」


フォールクヴァング近くの宙域では、モビルスーツ搭載艦ユリシーズの巨大なスラスターが点火し、艦体がすみやかに加速していく。
艦内ではモビルスーツ〈ハイングラ〉がカタパルトに出て、射出用レールのうえでいったん静止し、前傾姿勢をとって急発進する。カタパルトの終点で足元のビンディングロックが解除され、すぐさま完璧なタイミングでスラスターを噴射、ハイングラは高速で飛びたった。
ハイングラは、エリクトたちがいるフォールクヴァングを捉えていた。すでにドミニコス隊のモビルスーツ数機は先行している。
そこにラジャンからの通信が入る。

──本部よりドミニコス隊各機へ通達。フォールクヴァング及び周辺宙域を速やかに封鎖。シャトル一隻逃してはならん。

ドミニコス隊がフォールクヴァングを囲むように広がっていく。
一方フォールクヴァング内部では、無重力下の通路をナイラが先行し、ウェンディがそのあとを追っていた。
ナイラはT字路を右折したところで異変に気がついた。
通路の奥で、うっすらと煙がみえた。次の瞬間にはさらに発煙筒が放り出されて、煙が吹き上がる。ナイラは危険を察知してT字路の中央で移動をやめ、ウェンディに止まるように合図をおくる。

「ナイラ?」

「ウェンディ、逃げて。……早く!」

ナイラがウェンディを来た道へと押しかえすと同時に、銃声が続けざまにひびいた。
そのうちの1発がナイラの頭を直撃してしまう。ナイラが脱力してその場にうかび、そのまわりには血のしずくが広がっていく。

「ナイラ!」

悲痛な叫びが通路にこだまする。
押されたウェンディは、ナイラから離れていく。
直後、通路のライトが赤色に切り替わり、あわせて警報が鳴りひびいた。
 

「警報……?」

エリクトを探していたエルノラが通路で立ち止まった。
そこにナディムが追いついた。

「エルノラ! 評議会が一線を越えてきた」

警報とナディムの言葉が、エルノラの脳内でむすびつく。
そして真っ先に考えたのは当然エリクトのことだった。

「エリィがいないの」

「エリィが? ……──きみはエリィを頼む。ぼくはルブリスで出る」

「危険すぎる」エルノラはすぐに制止する。

「敵が来てからじゃ遅すぎる。きみたちの作った〈GUND-ARM〉を信じろよ」

ナディムはあえて笑ってみせ、そのままドックに向かった。

──マネージャーが出るんですか?

驚くスタッフにナディムが答える。

「ウェンディと連絡がとれない。ぼくが足止めしているあいだに退路を確保してくれ」

ナディムは話しながらコクピットにもぐりこんだ。

──本社の救援はどうなんです?

「期待は」ナディムがヘルメットのバイザーを閉じる。「できないな」

システムが起動し、ルブリスが動き出す。
クルーが誘導のためにルブリスのまえで指示棒をふる。

「LF-01、射出!」

ナディムの音声命令によって、カタパルトのフックが外れ、機体が足元にむかって高速射出され、一瞬で宇宙空間へと出撃する。機体の姿勢制御スラスターが自動的に作動して、空間内姿勢が最適化されていく。

「GUNDフォーマット、〈パーメットスコア〉……2!」

ナディムの声に呼応し、ガンダム・ルブリス量産試作モデルが顔を上げると共に、カメラアイが点灯する。
敵艦のレーダーもナディム機を捉えていた。索敵追跡システム先任士官が告げる。

──識別照合。目標モビルスーツと一致。

「ドミニコスの隊を向かわせろ」

ラジャンの指示に、ドミニコス隊パイロットが応じる。

──了解、行動を開始する。

ただちにユリシーズ格納庫から〈ハイングラ〉2機が出撃し、ナディム機に接近、攻撃をしかける。
ところが2機からのビーム射撃はかすりもしない。

「速い! これが、ガンダムか……!」

ドミニコス隊のパイロットは戦慄した。ブリーフィングで情報は与えられていたものの、実際に対峙すると、こうも圧力を感じるものなのか。
ハイングラ2機は分かれて、ナディム機の頭上と足元に移動する。
ナディム機は足元の1機を速射して撃破しながら、背中の兵装を展開する。バックパックからは多数の〈GUND-BIT〉──通称ガンビットが発射される。

「パーメットスコア──3!」

ナディム機の〈シェルユニット〉がさらに強く反応する。ガンビットたちの動きは、ナディムが操作しているのだ。
ハイングラはシールド搭載の機関砲を撃つが、小型機はその攻撃をまるで意思を持っているかのように回避していく。

「避けた?」小型機がハイングラにとりついた。「バカな……!」

小型機の爆発が、ハイングラをつつみこむ。
ナディムの呼吸が一気に荒くなる。

「ぐ……。久しぶりだな、この感じ」

ナディムの顔にはパーメット流入による赤いあざが浮かんでいる。それは機体のシェルユニットの輝きによく似ていた。
ドミニコス隊の通信士が解析結果を伝える。

──やつらは妙な〈スウォーム兵器〉を使う。

スウォームとは〝群れ〟のことであり、ひとつひとつが独立した思考構造をもちながら、群れ全体としても──もうひとつ別の知性をもっているかのように──まとまりのある行動をする。ナディムはGUNDフォーマットを介して、直感的に多数のガンビットをあやつっているのだ。

──一対一でいくな。数で……。

しかしその指示が届く前に、ナディム機の後方からの一撃がもう1機のハイングラを撃ち抜いた。

「ウェンディ。きみか」

ウェンディは泣きはらした目をしている。

「ナイラの仇をとってやるんだ」

ウェンディの言葉ですべてを察したナディムは静かにうなずいた。

「……そうだな。敵をひきつける。みんなの退路を確保するんだ」

ユリシーズオペレーターのディスプレイに、新しい光点が現れた。

「左舷進行方向、ガンダムタイプ2機目を確認」

モニターには接近するガンダム2機が映っている。ハイングラを撃破しながら接近してくる。ラジャンはうなずいた。

「情報通りだな。警戒を怠るな。──ケナンジ」

ラジャンはドックで待機中のパイロットに通信をつないだ。

「ベギルベウを出せ」

──了解。

ドミニコス隊が誇るエースパイロット──ケナンジ・アベリーが返答する。

作戦はまだはじまったばかりだった。

【つづく】

『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』表紙
『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』表紙(C) 創通・サンライズ・MBS

 

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カバーイラスト:林 絢雯
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リンク:『小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女』紹介サイト
    『機動戦士ガンダム 水星の魔女』公式Twitter・@G_Witch_M

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