【期間限定】「しょぼくれおかたづけ」(著・伽説いわし)第1章全編無料公開!

現在発売中のエッセイ「しょぼくれおかたづけ」(伽説いわし)の第1章を期間限定で無料公開!
年末年始、ぜひお気に入りの1編を見つけてみてください。


©伽説いわし/A-dashi 2025


いるいるいる


 左目から涙が出て、眉間に向かう。ゆっくりゆっくり眉間の坂を登っていく涙。重力に逆らいながら頑張って登っていく私の涙。眉間の一番高いところを越えたら一気に重力に任せてスピードをあげ、右目に向かう。そのあと、左目の涙が、右目合流し、右目の涙を連れて枕に沁みる。
 右の側頭部全体が濡れている感じがして、両目分の涙の量の多さに我に返る。

 外では子供たちが騒いでいる。学校へ行く時間みたいだ。
 鳥がご機嫌に鳴いている。おいしいものが見つかったみたいだ。
 工事現場のおっちゃんが指示を出す大声が聞こえる。また誰かが怒られているみたいだ。
 私は泣いている。毎日何だかしんどいみたいだ。

 それでも、壁のほうには向いていないし、布団も頭からかぶっていない。上京してから模様替えも一切していない、ずっと変わらない、真っ黒のTV画面をぼんやりと見つめている。別にこれは布団から飛び出せなくなることを恐れて、ではない。飛び出す意欲はある。

 あー、ウソ。本当は少し、ない。壁のほうを向いてしまったら、布団をかぶってしまったら、もう私はここから出られないことは予想済みである。
 潤んだ目で見慣れた部屋を見る。

 うちのTVはデカい。おばあちゃんは目が悪いから、デカいほうがいいと買った50 インチのTV。形見として持ってきた。
 自分の姿を見るにしては、このTVは大きすぎる。
 全画面いっぱいの私なんて見れたもんじゃない。だからいつもTVerで薄目を開けて見る。本当は見たくないけど反省のために見る。
 自分が出ている瞬間は息が止まる。
 ほら昨日も、見なきゃよかったと思ったところだ。

 涙の御一行が左目からスタートし、右目で合流し、枕にて終着すると同時に、右の鼻が鼻水で完全に閉じられた。右の鼻から脳みその奥のほうで、酸素が足りない痛みがする。それはどんどん広がって、頭蓋骨の内側まで鼻水で充満しているような感覚になって痛い。その間も右の鼻の分の呼吸を頑張って担っている左の鼻の穴は、口に呼吸の助けを求める。口呼吸も応戦し、鼻が、口が、頭が、どうにか私を生かそうとしている。呼吸を司る臓器たちに申し訳なくなって、起き上がった。右鼻が「助かった」と言わんばかりに鼻水を垂らす。右の頭の奥はまだつまっている。座ったままティッシュに手を伸ばし、頭の詰まりを全部取るかのように勢いよく鼻をかんだ。

「慣れないところでよく頑張ってるね」なんて甘えたことを言える世界じゃない。慣れないところでも確実に成功することが当たり前な世界に来たんだと気がついた。予想していたよりも戦いは、優勝が飾られたあの日から始まっていた。
 予想していたよりも、戦い方が見つかっていなかった。

 お笑いライブでは観客の反応がすぐにわかる。
 ウケたときに達成感を得て、また次もこのウケを得たいと思う。
 なのにTVは反応がわからない。何がよかったのかわからない。何が悪かったかはちょっとわかる。でも「理解する」という意味ではわからない。手応えもなく帰ってきて、特に誰からも何の感想も言われなくて、これはよかったのか、悪かったのか、まったくわからない。何も言われないということは多分悪かったんだなと思うしかない。
 そう思ってくると、関わったすべての大人から「何もできない、とっかかりのない芸人」
だと思われているように感じた。目線が怖い、しゃべったあとの沈黙が怖い、楽屋が怖い、
スタジオが怖い、全部が怖い。私たちを応援している人なんて、きっとどこにもいない。

 SNSで「ワンバン送球、残念でした」とコメントが届いた。
 東京ドームでの始球式のことだ。
 そんなこと、無視すればいい。私は野球選手じゃないし。
 でも練習したくせに、ワンバンだった。やっぱり私は決めるところで決められなかった。
 
 知らない誰かに、知ったような熱量で「お前は芸人になるべきではない」と言われているような気がした。TVに出るたびに、YouTubeを出すたびに「誰だよこいつら知らねえよ」とか「こんなにおもしろくない奴いるの」とか、いろんな言葉をかけられた。向き合う強さも、スルーする可憐さも今はない。せめて目に入らないようにとポチポチ削除してたら、また鼻がつまってきた。

 私がこの世からいなくなったら、能天気にSNSに書いた奴は後悔するのだろうか。し
ないな。そんな奴。でもわかってもらうにはそれしかないんじゃないか。また鼻がつまっ
てきた。

 気分転換も必要だと音楽のライブに行った。
 慣れないライブハウスに、音を楽しんでいる連中を横目に、何が楽しいんだと思ってしまった。何でそんな自信があって、何がそうさせているのかと思ってしまった。
 飲み会に行った。やっぱり何でそんなに楽しいんだと思ってしまった。何でそんなに人生うまくいってるんだと思ってしまった。

 何でこんなに、みんなといるのに孤独なのだろうか。ずっとひとりぼっちだ。
 そんなことをふと漏らすと、周りは言う。
「アンチばっかりやないから」「応援してくれている人のことを見よう」「興味のないふりしてめっちゃ心配してるよ」「ずっと味方だよ」
 うるさい、わかってる。うるさいって言ってごめんなさい。でもうるさい。マジでうるさい。そんなこと、当たり前にわかってる。じゃあ今、私がこれだけ苦しんでいるこの闇から救ってくれよ。そんなこと言うならさっさと救ってくれよ。
 これも八つ当たりだってわかってるけど。今いる味方が見えてなくて、孤独だって泣いている自分が悪いこともわかっているけど。でも本当にいないんです。私の味方でいてくれる人はいないんです。

 そんな中、西新宿でソロライブに立った。

 ライブ制作団体のフェスの中で、私たちは60分与えてもらった。何をしてもいい60分。私たちだけの60分。ここにいる人たちは私たちだけを見にきている。土曜日の天気のいい、お花見日和。 

 出番前、「3人くらいやったらどうしよう」とスタッフにチョケた。
 チョケたけど、本当にそうだと思っていた。

 出囃子が鳴って、センターマイクに立った。

 あ、いる。結構いるやん。いるやん!

 私たちなんかにこんなに集まってくれている。
 たくさん笑って、たくさん反応してくれた。

 いるいる、ちゃんといる。いるぞいるぞ。
 舞台に立ちながら、もしかして、と思う。
 私が薄目でしか見れない番組も、大画面で爆笑して見ている人もいる。もしかしたら、みんなに「あいつはダメだ」と落胆されたであろうあの瞬間も「なかなかいいな」と思ってくれている人は、いるかもしれない。

 今はちょっと、隠れているだけで。

 今あるものに目を向けようなんてきれいごと、今の私にはちょっと難しい。
 でもここまで現実が、これ見よがしに見せに来てるなら、しゃーなし、ちょっとそうい
うふうに考えてやってもいい。

 たくさんの、愛がいる。
 私はバカだから、また、明日には、簡単に、いないと思ってしまうだろう。

 でも今日は、目の前に、確かに、愛がたくさんいた。多分じゃなくて、絶対にいた。

 ありがとう。

 だから、私も、あなたへのお返しとして、根気強く、い続けてみようと思う。


諦めなければいつか夢は叶う、なんて


 一輪車をうまく乗りこなすために、移動はすべて一輪車にしていた小学生の私。
 近所の公園で友達と遊ぶときも、近くのスーパーに母と買い物に行くときも、ピアノの稽古に行くときも、ずっと一輪車を漕いでいた。
 その結果、空中乗りもアイドリングもお手のものになった。

 一輪車は私に「練習すればうまくなる」ことを教えてくれた。そして、「諦めなければいつか夢は叶う」ことも教えてくれた。
 今じゃこんなに手垢のついた浅はかな言葉はないと思う。

 たくさん経験して、努力は簡単に人を裏切ることを知ってしまった。そんなことないとたくさん抵抗したけど、悔しいかな、そうだった。
「諦めない」と言えば美しい、でも結果が出なければ、その本質はただダラダラ続けているだけ。
 結果が出ないのに続けた先には何があるか、「腐り」である。腐った結果、周りの人も、自分も途端に信じられなくなる。

 私たちは今、事務所に入っていない。無所属、フリー。響きだけはかっこいい。

「フリー? え? 事務所入ってないの? すごいね!」
「え! 全然すごくないです! 協調性ないだけです!」
 ほら、また否定をしすぎて変な空気にした。おとなしい、勝ち気のない芸人だと思われた。売れないって思われた。
 あー、またコミュニケーションを失敗した。あれもこれも全部「腐り」のせいだ。腐っ
ているからポジティブに捉えられない。

 芸人において、フリーは難しい。今私が、この世でいちばん思っている。
 やはり事務所に入っていたほうがうまくいく確率が高いと、今の私は思ってしまう。
 身近に売れている先輩がいないから話が聞けない。オーディションがない。ライブを自分たちでつくる。すべてが手探りだった。
 フリーでいるならば、何かそれを超えられるような、突飛な才能と底抜けの努力が必要だ。
 やっとの思いで売れるための鍵を掴んでも、掴んだ途端に手のひらで砕けて、砂になってすり抜けていく。掴めない。爪の間にも入らない。すり抜けたあとの手がきれい。
 そして、何もしなかったのと一緒になる。

 私は、「協調性がない」をフリーでいる理由にした。確かに協調性はない。
 でも小中高ずっとチームスポーツでずっと、チームの調和を気にする副キャプテンだった。社会人になってもチームで動く仕事だった。新人指導もしていた。今も、平場でMCが困るような勝手なことはしない。協調性、ないわけではない。
 がっかりさせて、申し訳ない。


 何でフリーになりたいと思ったのか。
 そりゃあさすがに最初は、縛られずにやってやろうじゃないのと思っていた。
 大阪で、フリーで、売れる。誰もやってないことを成し遂げたい。そう思っていた。
 でも今考えれば、もしかしたら心のどこかで「私たちには持ち味がない」と思っていたのかもしれない。この群雄割拠の芸人界で戦うためには、希少でいるためには、「私たち」という素材だけでは無理、と諦めていたのかもしれない。
 自分の持ち味が見つからないがゆえの逃げなんじゃないか。猛者たちがいる場所で戦うことを避けているのではないか。
 そう思ったし、おそらく多分そうだった。

 フリー芸人として思うようにいかなくて、腐ってきた私は、結果までの道中をアピールし出すようになってしまった。
 こんな仕事の打ち合わせをしました。オーディションをしました。収録に行ってきました。こんな変わったライブをします。
 視聴者やお客さんが喜ぶかどうかは、結果なのに。そりゃあ結果までの過程を話してもいいとは思うけど、それは結果を出すことが前提なのに。
 フリーという逃げ方をしていることを、自分はわかっていた。
 だからこそ、フリーが逃げじゃないことを説得するために、「何かをやっているぞ」とアピールしないと耐えられなかった。

 お客さんは、毎日ネタを書いていることには、お金は払わない。おもしろいネタにお金を払う。
 ライブを主催しただけにお金は払わない、おもしろいライブにお金を払う。
 アピールしているだけの奴を応援しない、実際におもしろいからファンになる。
 わかりきったことだった。それを、自分の甘さから忘れそうになる。
 頑張っていることを誰かに認めてもらわないと、その場に立っていられなかった。


「大阪の無印良品でお笑いライブができないかご相談したいです。」
 なじみのファンらの依頼だった。こんな依頼が来るのも、フリーならではである。

 私のことを信用してくれている人に結果を見せたい気持ちがメキメキ湧いてくる。
 応援していてよかったと思ってもらいたい。そして私も自分自身を納得させたい。
 絶対に結果を出す。自分がフリーである意味を持てるように、これからも自分がフリーでいてもいいと思えるように、結果を出したかった。

 初めて一輪車に乗れたあの日の景色を思い出す。
 あの練習とこの練習がつながった実感。右、左と足が勝手に動いて過去の努力に感謝したあのとき。あれを味わいたい。

「諦めなければいつか夢は叶う」をもう一度味わいたい。

 私が心に決めたこと。
 お客さんに楽しんでもらうことは大前提として、クライアント側に満足してもらうライブにすること。事故やトラブルがないこと。そしてライブの赤字を出さないことと、芸人とスタッフに給料を払うこと。もちろんそれらは、自分たちのギャラを削るんじゃなくて、自分たちもしっかり給料をもらったうえで。
 楽しんでもらうなら、楽しんでもらうための環境づくりが絶対に大切だから。

 経費の加減で、どうしてもプロの裏方スタッフを呼べなかった。学生などの、普段お笑いライブの経験のあるスタッフに依頼した。
 ミスがあればすべて起用している私の責任だ。プロじゃない方にここまでお願いするのも、どうかと思うが、打ち合わせでは何度も何度も最悪の事態に備えるためのシミュレーションをした。
 適当じゃダメ。曖昧じゃダメ。多分うまくいくでしょうではダメ。
 起こりうるすべてのトラブルを、事前に回避できるようにした。


 結局、ライブはトラブルなく終わった。お客さんも喜んでくれていた。無印良品の方も喜んでくれていた。
 感謝の気持ちでいっぱいである。

 でも反省点もたくさんある。終わったあとに、スタッフでダメだったところを出し合った。来年もやらせていただけるということだから、来年もしっかり結果を出す。
 お客さんの楽しい思い出に泥を塗るつもりはない。
 でも、めでたしめでたしでは終われない。終わらない。

 私は、たくさんのことを諦めてフリーでいるのかもしれない。ならば、そのあとのことは絶対に諦めない。
 自分がフリー芸人でいてもいいと思えるように。そしてこれから自分たちの力で事務所をつくって、さらなる飛躍ができるように。
 フリー芸人でいることを、心の底からにっこり笑って「逃げ」じゃないんだと言い切りたい。

 ときには、このエッセイのように、道中のアピールをしてしまうことも、クネクネ進んでしまうことも、バランス崩して転けてしまうこともあるかもしれないけど、そんなときはアイドリングを挟んで、最終的にはふわりと空中乗りを決めて、みんなのもとへおもしろいを届けたい。


ウケたあとのビール


 この世でいちばん好きな乾杯は?と聞かれたならば、我々お笑い芸人はみんな口を揃えて言うだろう。

〝ライブでウケたあとのビール〟


 お笑いライブがなくてもビールはおいしく飲むが、我々芸人はお笑いライブでウケたあとのビールが、この世でいちばんうまいことを知っている。これが、まあうまい。食べたことはないが船の上でその場で捌いて食べる刺身よりもうまい。
「ウケた」と「ビール」は、
「あじさい」と「かたつむり」
「オーバーオール」と「大食い」
「おばあちゃん」と「おじいちゃん」よりも相性がいい。

 ちなみに「スベった」のときのビールは、皆さんが普段飲んでいるビールと同じで、まあ普通においしい。


 芸人というのは、「自分のネタの感想を聞くため」「先輩に『いやあ、今日もウケてましたね~』を伝えるため」「後輩に『あの部分、もうちょっとこうしたらいいんちゃう?』を教えるため」に、ライブ終了後に集う生き物である。

 言わずもがな私もそのうちのひとりである。ライブ後にアドレナリンがバンバン出たあとの飲み会は、楽しくて楽しくて楽しい。
 おいしい餃子をたくさん作ってる店か、焼き鳥とミックスジュースがおいしい店に集いがち。ライブが終わる22時以降に一度店をのぞいてみてほしい。芸人たちが群がって世界でいちばんうまいビールを飲んでいる、はず。

 大笑いに包まれた感覚を思い出してビールをひと口。うますぎる。そのあと先輩からの「今日のネタめっちゃおもろいやん」の言葉でさらにひと口。もちろん私も先輩や後輩、同期のビールを世界一うまくしている。「このネタ今年絶対いいとこまで行くわ」で、うまくしている。

 ときには「ウケた」をしがんでしがんで、明け方までビールを飲むこともある。「ウケた」は、永遠に味が濃い。でも「ウケた」をしがみすぎると、新しいネタができないこともある。

 この世でいちばんうまいビールを飲むためのお笑いライブが軒並み中止になった、あの時期の話。
 みんなライブに行けなくてもお客さんに楽しんでもらえるように、配信でネタをやったりラジオをやったり試行錯誤した。でも画面の向こうのお客さんの笑い声はこちらには聞こえないから、ウケたのかウケてないのかを体感することはできなかった。でもまあ、ビールはおいしかった。

 最近になって感染対策をとりながらお笑いライブが復活した。60人入れる劇場に20人くらいしか入れないから、お客さんがめちゃくちゃ笑ったとしてもお客さんの人数が少ないから、体感としてはたくさんのお客さんの大笑いに包まれる「ウケた」にならないことが多い。ビールはおいしかった。

 今、お笑いライブ後に飲み会はできない。感染対策のため出番が終わるとみんなすぐ帰る。散り散りに帰っていく芸人の後ろ姿を見るのは悲しい。あの人いつも誰かと飲みに行ってたのにな……と思ったりする。帰り支度をしながら、ひとりでもんもんと反省会をしていたら、先輩が近づいてきて「今日のネタよかったやん」と言ってくれた。たまたま駅で、ライブに来てくれていたお客さんと遭遇した。わざわざ「めっちゃおもしろかったです」と声をかけてくれた。ビールはめっちゃおいしかった。

「ウケた」あとのビールが世界でいちばんうまいけど、ビールがうまくなる理由は「ウケた」だけじゃないのかもしれない。

 早くまたみんなで乾杯できたらいいな。


噛みついていこう


 Xで、お笑い関係者が「〜するべき!」と宣っている意見を見るとドキッとする。「そうなんや! ああ! 何も考えていなかった!」と思うからである。意見を持っていそうで、そんなに持っていない私は、こういう書き込みを見ると、自分のことが薄っぺらく感じる。

 R -1のポスターデザインが優勝者への冒涜だ!という意見がはびこっているとき、そのポスターを見てもそんなことを思わなかった。でもこれは「冒涜ではない」という反対意見じゃなくて、それの前段階の「何にも感じてない」に等しい。普通に、すてきだなと思った。あのポスターを見て、一旦無の状態になる。このときの自分は、すてきだな、以外何も感じていない。その結果、みんなはどう思ってるのか気になって、リプ欄などを見て、その意見に賛同したり賛同しなかったりしながら自分の意見を固めていく。クッキーの型抜きみたいな作業なのかもしれない。もともとの私の意見は何の形でもなくて、型という世論のおかげで形となって私の口から発せられているような感覚である。もともとの私はひらべったいメタモンのような意見なのに、型抜きによってきれいな形となり、あたかも自分の意見のようにそれを放射する。

 世間の方々はこんなに自分の意見をしっかり持っているのにも関わらず、私はと言うと湯葉みたいな意見でここまでやってきたのかと落胆することもある。醤油で食べたらおいしいからいいんやけど。

 SNSの普及で人のポリシーにぶつかるときが増えた。居酒屋で飲んでるとき、夜が更けて酒が回ってみんなのむき出しの思いが出るあのとき以外、こんなにぶつかることなんてなかったのに。人のポリシーにぶつかるときは、何かドキドキしちゃう。これは多分、そのポリシーに反するような行動を取ってたら申し訳ないなという気持ちと、ポリシーすら持ってないことがダメと思われないかというドキドキである。

 たとえばよくあるのが、プロの芸人を呼ぶときに、その芸人がいくら売れてなかろうと主催者側が無料でオファーすることはよくないとされている。主催者側も、この芸人を呼ぶには対価は必要ないという舐めた感じになるし、芸人側もお客さんに金とって見せる芸なんだから責任を持たないといけないし、自分の芸には金がかかるんだという責任を持たなければいけない。
 私はこのポリシーには現在は賛成であるが、昔はそうでもなかった。少なくとも自分にとっては。  

 無料のオファーもありがたく出演していたし、お金をもらって、ええ! いいんですか!という反応だった。でもフリーで食っていくぞってなったとき、これでは絶対にいけないなと思った。自分の芸にお金をもらうということは、その分の責任を担うことなのである。
「金をもらってんだから、笑かして満足してもらう責任が私にはある!」という、社会的なルフィの出来上がりである。
 そうやって人間は経験とともに、ポリシーが変化していくのである。すばらしい。

 じゃあ今の私のポリシーって何や。
 今の私のポリシーはというと、「お客さんに迷惑がかからないようにする」である。
 結構その手のことでプンスカ怒ってる気がする。何が湯葉やねん。高野豆腐水戻し前である。プンスカ怒って湯気立って、周りから、あらまた怒ってるよって思われてるんだろうなってことが、今週は23回くらいあった。

 だって、お客さんがライブに来るって、結構な労力がいる。
 私たちはお笑いの力で、まずはお客さんに靴を履かさないといけないのだ。靴を履かなさいと、ライブ会場にすらたどり着けない。そのほかにもたくさんの障害をくぐり抜けて、ライブに来てくれてんだから、絶対迷惑がかからないようにしないといけない。
 そういうところが疎かな人を見ると「なんんんんんでやねん!!!」と思うし、自分が出演者として出るライブでもこのライブ迷惑かかりそうやなと思ったら、自分の力でできることはする。
 自分が全てできてるわけではないが。頑張る。

 そっか私にも結構なポリシーあるんやと思い、ちょっと安心する。R -1のポスターには何も思わないけど、ライブに関しては私、ちゃんと怒ってるやんと安心する。

 自分のやりたいことで結果を出してる人は、そういうポリシーがめちゃくちゃある。すごいある。何事にも噛みついていってるのである。まあええか〜、なんてことは言わない。結構噛みついてる。ちょっと噛みすぎちゃう?ってくらい噛んでる。私はその勢いに圧倒されながらも、「私ってまだまだ噛みつけてないな」と思う。

 もしかして、「お笑い」も、「噛みつく」なのではないだろうか。異変やおかしいことを見つけて、広いところに出していく作業である。居酒屋に入るなり「貼ってるシール多いな!」とか「トイレ広ない?」とか、とにかくめちゃくちゃ噛みついてる人がいる。別にシール貼っててもいいやんと思うし、トイレ広かったらありがたいやん、と思う。あと、普通にうるさい。でもそんなことを見過ごさないで、全部に噛みついている人はめちゃくちゃおもしろい。
 やっぱり、変だな、おかしいなって思うことが、お笑いの第一歩なのかも、と思う。

 いろんなことに噛みついていきたい。噛みついていこうな。そして、いろんな人の噛みつきをなるほど〜と受け入れたり、それはちゃうねんと噛みつき返していきたいな〜と思う。


私とこの灯火が消える前に


 大阪のホームの劇場がなくなってしまう。
 今日はそのホームでのラストライブだった。

 THE W決勝のときに東京に連れてきた友達のひとり、作家の前田が、おそらく夏くらいから意気込んで作ったラストライブ。その劇場でお笑いをやるのは最後だったそうだ。関西出身の売れてる芸人のほとんどが踏んできた劇場である。東京に行ってからも、平場でトークに困ったときは関西の先輩に「覚えてますか!」と名前を出して助けてもらった。

「なんば紅鶴」

 漫才師の動きでセンターマイクがゆらゆらと揺れる、かわいくて頼りない舞台。上手袖はなく、思い切りがよすぎる。下手袖を出たらすぐバーで、そこでネタ合わせをするとちびるくらい怒られる。客席真ん中の、用途のわからないお立ち台。
 明日や明後日の宿題がなければ、寂しさがド直球に襲って感傷に浸り、いろいろ話しこんだ結果、みごとに後輩にうざがられていただろう。

 ラストライブ、企画コーナーは最後のライブにふさわしいド地下ど真ん中のアホコーナー。前田のコーナーはいつもアホで楽しい。
「B’zの『LOVE PHANTOM』のイントロは長すぎるから盛り下がってしまう、だからB’zのためにイントロを盛り上げておこう」というコーナー。紅鶴とB’zにはなんの共通点もなく、何でこのコーナーをやるのかわからない。まったくわからない。
 私はこの、「丸ごと何してんねん」という感覚が、大好きである。まじで何でなん?って思いながらやっていた。

 開演の1時間半前から入って、みんなでリハをした。
 音響とマイクの調整、ここで誰それが出てきたらおもしろい、これだとイマイチかな……あんなにアホなコーナーなのに、みんな真剣にチェックする。俯瞰で見てしまうと、何やっているんだと思ってしまうようなアホな内容なのに、みんなは相変わらず真剣に話し合っていた。かわいい。「シルバニアファミリー〜なんば紅鶴コーナー打ち合わせ編〜」として販売してほしい。
 そうやって話している間は、大御所芸人への並々ならぬ緊張感や、現場で感じるお前じゃない感、使い勝手の悪い芸人という申し訳なさなどを微塵も感じずに、ただただ「LOVE PHANTOM」の成功に向けて進んでいく戦士と化すことができた。

 ライブが始まって舞台に立って客席を見ると、顔、顔、顔。
 普段は50キャパくらいなのに、今日は80キャパまるまる入った。小さいと思うかもしれない。でも、小劇場には小劇場のよさがある。顔の横に顔があって、顔の前に顔がある。みんなほっぺたをピッカピカのピンクにさせて見ている。ほっぺたは前のめりになり、笑ったら前歯が舞台に刺さりそうだ。私は、これが大好きである。

 ライブは無事終了し、みんな散り散りになり、自分たちの残りの仕事も終え、電車に乗って帰ってきた。東京では間違えまくっている電車も、今日は間違えない。御堂筋線は目をつぶってでも乗れる。

 THE Wで優勝してからというもの、自分の想像を超す脳の回転を強いられている。一度回転をして役目を終えても、またすぐに予熱なしでの回転が必要となる。それを普通にやれる人と戦ったりしていると、危うく自分が何でお笑いをやっているかも見失いそうになる。
 そもそも見失いがちの人間なのに、TVになんて出ちゃったらそりゃもう、天晴れの見失い。それでも頑張るぞと意気込んでも、その鼻息は簡単に消されたりして。もうやんなったりする。
 でも今日みんなと「LOVE PHANTOM」をして、そうそう私はこれがやりたかったと再認識できた。楽しかった。ずっとずっとこれをしたい。
 今、新しくTV業界という、私がまったくもって関係を持てなかったところと、つながれている。そりゃもう今は傷つくことも多いけれども、それは新参者へのあいさつのようなものであり、実際に出てみて、TVでやっていることもライブでやっていることも根本は同じだということは、ここ数週間で痛いほどに感じている。ここはへこたれていないで勉強するときである。目の前のことに精一杯だと自分を見失いがちな私だが、それを超えた奥には「LOVE PHANTOM」が待っている。

「LOVE PHANTOM」をもっとすごいものにするには、今の状態は大チャンス。鍛錬を積んでいろんな人から吸収する。楽しくやっていきたい。今新しく出会った人たちとも、もっとすてきな「LOVE PHANTOM」ができるかもしれないし、もっと成長して帰ってくることができれば、自分の持っているイチブトゼンブを発揮できるはず。

 下を向いてちゃ、この瞬間を楽しめない、メマイ、おしまい。これを考えるのに時間を費やしてるのもメマイ。私の灯火が消える前に寝ます。おやすみなさいなば。


1回さあ、話し合おう。私ちゃんと話聞いてないし 


 コンビ間の空気の異変は、コンビ芸人だからこそわかる。
 ずっとずっとよどんだ空気をまといながら、でも舞台に出ればなんとか持ちこたえて、を、やっていたコンビがついに解散すると言い出した。何とか持ちこたえて、は、持ちこたえていなかったのだと、そのときに知る。火を消したあとの鍋の味噌汁のように、どんどんと冷めていっていて、私はまだお椀に入れて飲める温度を保っていると思っていたが、本人たちは温め直さないと飲めるもんではなかったようだ。
 結局、私はそれを温められなかった。

 特別飲みにいくような仲間ではなかったが、ライブでは毎週のように会っていた。そのコンビのパワーバランスや人間性が自分のコンビに似ていて、そのコンビの悩みは容易に想像できてしまっていた。もともと社会人をやっていたが、お笑い芸人になる夢を諦められず、仕事をしながらお笑い活動をやっていた。自分も2018年まではそうだったから、その大変さはわかっているつもりだった。

 そのコンビはどっからどう見ても頑張りすぎで、月曜から金曜日の業務に加えて土日はネタライブ、主催ライブとバリバリと音を鳴らしながら頑張っていた。彼らは、ブルドーザーのように見えた。最初は土砂を残らずきれいに押していたが、どんどんと、板の外に溢れてサイドには板で運べきれなかった土砂が山積みになっていった。初めは仕事のストレス解消がお笑いだっただろうに、お笑いの比重が高くなってきてしまい、前のように楽しんでできていないのかもしれないなと勝手に想像したり、いやでも結局お笑いが好きだから楽しんでやっているのかもな、と都合のいい思い込みをしていた。

 その劇場のトップにいた私は、気にはしているものの自分のことに精一杯で後輩の彼らのことを気にかけることができず、あまり話が聞けなかった。

 ライブ量もコントロールしてあげる必要があった。でも、組織としてなりたってなかったから、あくまで個々のバランス感覚に任されていた。私はもともと大手の事務所にいたから、そういうときにどういう対処を取るのか大体予想がついていたが、そんな経験をしていない彼らにとって、対処法を教えてあげる人がいなかった。
 組織のせいで解散してしまう、そんな気がした。私がどうにかしないと、と思った。

 終電ギリギリまで話せるように、駅の広場で立ちながら話した。
 社会人をやりながら芸人になったから、芸人が趣味でやれなくなったことによる苦しみが強かった。お笑いというただただ楽しいことを、プロという責任感のある立場からやる。この矛盾にやられる。楽しいからやってるのに、しんどくて苦しくて、自分をどんどん嫌いになる。やっていることは人を笑かす「お笑い」だというのに楽しくできない自分が、悩んでしまう自分が、「お笑い」をやっていい器じゃないように感じる。
 そして相方とのすれ違い。友達から相方になったことで変化する関係性は、誰しもがうまく乗りこなせない。相方への期待、思ったとおりにならない失望。勘弁してほしいのに、それはずっと交互にやってきて、頭がおかしくなってしまう。その結果憎しみあったり、自分を嫌いになる。

 わかる、わかる。あなたたちは、多分、何もわかってないと思うだろうけど、私はわかってる。お前に何がわかるんだと思ってると思うけど、私にはわかる。
 いやでも、そうか、わかってないかもしれない。違う人間だからわかってないかもしれない。
 助けたい。せめて考え直す時間が取れるように。


「やっぱり、解散します。たくさん聞いてもらったのに、すみません」

 劇場に向かう電車ホームで見たその文章は、まだ体温があった。さっきまで生きていたのだろう。でもどんどん冷えていく文章を見て、ああ、今死んでいってるなと思う。助けられなかった。手遅れだった。先輩なのに情けない。私はいつもこうだ、何にもできない。足の甲の血管が通ってなさそうなところからどんどん冷えていって、首筋まで寒気が伝う。でも中心部分が冷めないのは自分のことではないからだろう。他人の解散だからだろう。

 でも、なんとなく、そうなる未来も見えていた。もちろんもっと早く話が聞けていれば、とは思う。ライブ数もコントロールして、ときには休ませたりしないといけない。芸人を抱えるなら、個々に任せるのではなくて、そこまで責任を取らないといけないと思う。でも、もう手遅れの状態で、彼らの意思は固いところまで来ていた。

 これからも一緒にライブで共演したかったとか、おもしろいから、絶対売れるから、諦めないでほしかった、なんて言えるわけはなかった。そんな無責任なことはできなかった。

 お笑いはいつだって自由だ。そもそもやらなくたっていい。
 先輩が話を聞いたって、どんな環境を設定したって、やるか、やらないかは自分しか決められない。やりたくない人がどうしてもやらないといけないことじゃない。
 お笑いはいつだって始められるかわりに、いつだってやめられる。

 彼らは、今後の人生を一生懸命に考えて、解散する決断をした。勇気のある行動だ。本当にすごいと思う。やりたかったことが、できなくて、やめる、このしんどさを超えて、ちゃんと決断をした。決断をしたとき、停滞していた血液が流れ出したのだろう。決めたとき、ちゃんと血が巡ったことを感じたから、お笑いをやめても大丈夫だと思えたから、決められたのだろう。

 私は、今後の人生を一生懸命考えて、やる決断をし続けている。
 やめようと思うことは何度もあった。でもやめると決めたとき、血液が止まったままだった。いや、もしかしたら止まったままでいてくれって思ってただけだったかも。お笑いを続けていくために、いろんな理由を作ってきたから。
 でもわかる。私は多分、お笑いをやめても、血は巡る。そんなことはずっとわかっている。でもやめない。矛盾。この矛盾は、私がお笑いをやめるまでずっと付きまとう。

 今は、その矛盾をいつか抱きしめられるようになるまでやってみようと思う。
 大層勝手だけれども、彼らの分まで。


いわしさんっぽかったですわ〜


 トイレに行って着替えるのは負けだと思っていた。ライブ会場の楽屋はまず、男性と女性にわかれていることはない。女性芸人は、トイレに行って着替えるか、人気の少ない場所に行って誰か来ないかどうかを確認して急いで着替える。一方で男性芸人は、パンツ一丁になって、しっかりと堂々と衣装に身を包んでいく。

 狭いトイレの個室で着替えるとき、まず衣装をどこにも置けない。だからトイレのフックに衣装の袋ごと引っ掛ける。そのあと、靴を脱ぐ。靴を脱いで靴下でトイレのドアの地面に直接足をつけたくないので、自分の靴の上に乗る。いつも履いているスニーカーが、またですかと言った具合にぺっしゃんこに潰れる。フックにかけた袋から、まずはズボンを取り出す。自分のズボンを脱ぐ。でも、そのズボンを置く場所がない。私はいつも肩にかける。脱いだズボンを肩にかけて、両手を空いた状態にしてから衣装のズボンを履く。肩にかけたズボンを次は股に挟む。下に落ちないように。私服を脱いだら、ズボンと一緒に股に挟む。両足でピョンと飛んで袋から衣装を取り出す。上から衣装を被って、股に挟んでいた私服のズボンたちを袋に入れ、衣装靴をおろして靴を履き替えトイレを出る。

 そのときに、男性芸人は楽屋で着替えられて楽でいいな、とは、思わなかった。
 このタイプの話を女性芸人とすると、何で女性だけ肩身が狭いのか、という話になることが多かったが、肩身が狭いとも思っていなかった。自分は芸人という括りの中にいる「女性」というカテゴリーの芸人だ。太っている芸人、ハゲている芸人、貧乏、クズ、金持ち、元気……その中のひとつとしての「女性」というカテゴリーなだけであると感じていた。だから、太っている芸人が異常に汗をかいているのがおもしろいように、女性が異常に泣いていることや怒っていることがおもしろかったりする。
 これに関しては、女性を男性と比べて泣くもの、怒るものと思っていたからなのかもしれない。でもそれは一般的なデータとしてあるものであり、女性はそれを悲観する必要もないし、さらに、女性だからといって全員がそうではないと思って
いた。私に関しては、地味な見た目の女性が、舌を巻いて捲し立てていることに意外性があるから、おもしろいと思っているし、逆にボソッと鋭いことを言えばおもしろいと思っているから、そういうネタが多い。

 私の漫才は、「女性を武器にしていない」と言われる。
 確かに、女性同士がよくやる「彼氏の話」「かっこいい男性の話」「育児の話」「買い物の話」などはやってこなかった。これは単純に、私がそういう話題の漫才に興味がそそられなかったからである。もちろん男性漫才師の「ドライブデート」「小さいころの思い出」「漫画の話」などにも興味がない。興味がないものは漫才にできない。

 私はずっと、俗に言う「女性あるある」に共感できなかった。でもそれはただの好みの問題である。お笑いが男性が多いからと言って、女性のあるあるをあえてしていないことにステータスを感じていたからではない。
 私の、ネタの好みだと思う。太っている人のあるあるは大好きだが、クズな人のあるあるはあんまりおもしろいと思えない。ファンタジーはそんなにで、ノンフィクションもそんなに。でも、ノンフィクションから想像もつかない方向に走っていくネタは大好き。本当にただただそれだけの話だった。だから、この男性社会の芸人界で、自分が女性であることに対して悲観的に感じたことはなかった。というか、ラッキー、くらいに思っていた。

 トイレに行って着替えるのが負けだと思っていたのは、「女性」を「芸人としての特徴」じゃなくて、「一般的な世間の性差」として考慮しないといけないからだった。芸人としては「武器」である「女性」という特徴も、世間的に見るとただの「性差」である。
 私はひとりの芸人の前に、ひとりの「女性」だったのである。楽屋で着替えるのではなく、トイレで着替えることが世間一般的な「性差」のマナー。
 そうなると私は、急に芸人から「女性」になる気がして、急に「女性」という性が嫌になった。さっきまで、ネタ合わせをしているときまでは、私は「特徴:女性」の芸人であったのに、急に戸籍上の「女性」になってしまうことにざらつきを覚えていた。

 7年目くらいのとき、社会人をやめて芸人一筋でやることにした。たくさんできたお笑いの時間で、いろんな場所のネタ見せに行ったり、先輩や作家にアドバイスをもらうようになった。ほとんどの人がネタのアドバイスをしてくれたのだが、こんなことを言われたこともあった。

「女やけどこんなネタもできますよ〜みたいな感じに見えたわ。普通にネタやったら?」

 たしか、餃子の王将についてのネタだった。女性らしさを出したネタではなかった。
 でも私は、このネタ自体がおもしろいと思った。関西弁の小さい女性2人がボソボソと餃子の王将について話している。このギャップがおもしろいと思ったし、むしろ何なら、女性であるということが、さらにこのネタを底上げしていたような気がしていた。

 単純に腹がたった。話し口調も、馬鹿にしている感じも。私たちの意図を汲み取っていないことも。女性とか男性とか関係ないし。気にしすぎだ。こんな奴には絶対に負けないと思った。
 でも、多分、この作家は、女性が男性の漫才師の真似事をしているように感じられたのだろう。女性芸人なのに女性であることを武器にしないこと、そこにステータスを感じていそうだと、私たちを見て判断したのだろう。

 そんなことはない、でもひょっとしたらそんなこともあるような気がしてきた。
 トイレに行って着替えるのが悔しいと思っていた私、「特徴:女性」の芸人と戸籍上の女性を併せ持つ自分にざらつきを感じていた私、もしかしたら、芸人の世界が「男性社会」であることへの逆張りから生まれた気持ちだったのだろうか。

 そして、それはひも解くと、自分のお笑いに自信がなかったからなのではないか?
 女性、男性、そのほかのカテゴリー、気にしすぎていたのは、私自身だったのかもしれない。自信のなさから自分たちをカテゴリー化して、属性を作ることで安心しようとしてなかったか? 「小さい2人組の女性」がやっておもしろいことを考えすぎていないか?

 私が考えるべきは、「にぼしいわし」がやっておもしろいこと、なのではないだろうか。そこで頂点を取るべきなのではないだろうか。
 私はそこから、自分たちらしさを抱きしめて、離さないようにすると決めた。

 最近、YouTubeを見てくれた後輩から「あの企画、いわしさんっぽかったですわ〜」と言われた。いちばんの褒め言葉だ。SNSでエゴサをすると「にぼしいわしらしくておもしろい」というコメントも見かける。

 何のカテゴリーにも属さないこと。自分たちだけの自由なお笑い。それがお客さんをいちばん喜ばせることはもうわかった。もうそれがわかっただけで、私の歩くべき道は開かれている。


チームやねん


 師走の終わりかけ電車。会社帰りの人、飲み会帰りの人、慣れないTV仕事で疲弊している人を乗せながら、今日も西へ東へ、1~2分は平気で遅れながら走る。アンケートや打ち合わせの日程がどんどん届くスマホをのぞきながら優勝を噛み締めていたら、様子のおかしい酔っぱらいが乗ってきて車内が一気にピリつく。

 みんな絶対に怖いのにその酔っぱらいを刺激しないように、普段どおりに過ごそうと一致団結する車内。
 携帯を触っていた奴は携帯を、楽しくおしゃべりしていた奴はおしゃべりを続行する。我慢できず席を立った人がいようもんならおしゃべりのトーンを少しだけ大きくして、酔っぱらいの気を散らすスーパーチームプレー。酔っぱらいに横に座られた会社帰りのお父さんは、自分がどいてしまえば刺激を与えてしまうかもしれないと、車内を守る。普段家族を守っているはずなのに頼もしさに涙が出る。娘が反抗期になったときは私に任せてください。パパのすごさを混々と説いていきます。

 とある駅で、ふらふらと酔っぱらいが降りて行った。ピリつきが車内からホームに移り、車内には安心ムードが漂う。心の中で、よく耐えたよなと讃えあう。またこのメンバーで電車に乗ろうな。

 大人数で雛壇に座る、そんな番組に行った。みんな思い思いのボケをしていって、我が我がと手を挙げる。
 さっきの車内とはえらい違いだ。正直、私はそういう場面が苦手だ。「優勝しても使い勝手が悪い」なんてネットニュースになっていたが、そんなことは、私たちがいちばんわかっている。
 雛壇できらりと光る星にはなれぬ。こいつに振れば何かあるんじゃないか、そんな星には生まれていない。
 スター性のなさで涙を流したことが何度あるか。そしてそのスター性のなさを乗り越えて、ネタを磨き続けようと誓った夜が何度あるか。
 腐った芸人を舐めるなと記事にバッドを押し、ついでに開いたYouTubeの、心ないコメントを報告した。Xのどぎついコメントを報告したら、そのアカウントが凍結していてびっくりした。せやかてどぎつかったからな。凍結して当たり前や。

 そんな強気でいれるのはほんの一瞬のことで、自分たちがどうTVに出ていっていいのか、使い勝手をどうアピールしていったらいいのかはまだ試行錯誤中だ。まあゆっくり学んでいけるよなんて悠長なことを言ってられない業界。成長している過程より、成長済みが求められる厳しい世界。日テレ1周の旅は、震えながらのスタートだった。

 チャンピオンだからと、前のほうに座らせてもらう。
 MCが振りやすい。周りにはライブで見知った顔ばかり。こういうときに、ライブにたくさん出ていてよかったと心底思う。平場の相談を周りの芸人にする。私たちが何かするときには協力してほしいと、ピンクのでかい人に伝える。彼に大阪時代、ツーマンを申し込んだ3年前の私を撫でくりまわしてやりたい。よくやった。

 正直、私たちなんてお呼びでないのだろうなんてネガティブな思いがあった。みんなからどうせ、ネタだけだろうなあいつらは、と思われている気がした。
 ネットニュースが頭の中に飛び交う。TVでどう使ったらいいかわからないだろ、という素人のポストが、びゅんびゅんと更新される。
 国民投票が入っていない。周りの人から、スタッフから、大丈夫か、と心配されているような気がした。
 私たちの優勝で、日テレが頭を抱えていたらどうしよう。THE Wの王者、今年は売れず? 漫才二本での優勝は史上初、売れなくても史上初だ。なんだその不名誉な史上初は。ライブで売れたいと頑張ってネタをやってきて、やっとのことで優勝して……おもしろくないと烙印を押されるのか。
 今日なんか特に厳しい現場だ。群雄割拠のお笑い界の先頭を走ってきた大御所MC。私みたいな奴は、早めに見切りをつけられるに決まっている。私は優勝してなお、そんな運命を背負うのか。そんなみごとな被害妄想を、雛壇のいちばん前で身構えながら自分たちが入り込める隙間を探す。

 ここだ!と思ったときに、大きい声を出してみた。
 すると、なんと、MCがびっくりするほど突っ込んでくれた。回してくれて、広げてくれて、振ってくれた。ひと言答えるだけで大爆笑を取れるようにしてくれた。

 周りの人もたくさん助けてくれた。MCの人たちが、まだしゃべれていない人を探す。次に振るぞと目で合図を送り合う。答えたい奴は俺を見ろと、みんなと目線を交わしていく。前に出れるチャンスがあれば、顎で合図してくれる。
 びっくりの連続だった。滑ってる奴に全員で突っ込む。全員で笑う。全員でおもしろい番組を作り上げる。
 ここにいる誰よりも目立ちたい人たちは、みんなで協力してひとつの番組を作っている。TV、すごい。この番組がすごいだけかもしれない、MCがすごいだけかもしれない、スタッフがすごいだけかもしれない、でも。

 おもしろいことをしたい人たちは、みんなすごい。
 TV番組は、酔っぱらいが乗ってきたピリつく車内と一緒だった。


全部M -1のせいやねん


「夏始まりました!」「夏続行!」「まだまだ夏は終わらせない!」

 SNSではびこる、夏のお知らせ。この「夏」というのは漫才頂上決定戦、「M -1グランプリ」のことである。決勝は冬にあるが、夏から予選が始まるため、出場者のみんなはこぞって「夏」と呼んでいる……という訳ではない。
 秋になっても、冬になっても。何歳になっても、誰とであっても。コンビ結成15 年以内であれば、我を忘れて自分をそこに投げ込むことができる青春を、出場者は「夏」と呼ぶのだ。

 自分の「おもしろい」を人に評価してもらう大会。お笑いにおいて、そんなことがあってもいいのかと思う。おもしろいなんて主観でしか捉えられないのに、なぜ人に評価されて人生を決められないといけないのか。魂を掴まれて操作されるようなその感覚は残酷で反抗したくなるが、それを越えると見えてくる景色に期待し、それに魅了された芸人は毎年「夏」を勝手に始めたり終わらせたりする。

 2008年。高校のクラスでM -1を見ている人はほとんどいなかった。相方ともうひとりくらい。その当時は、予選という「夏」が行われていることも知らず、涙を飲む芸人がたくさんいたのもまったく知らず、もう8回も行われていることも知らなかった。夏の景色なんて想像できない寒い冬に、家族で晩ご飯を食べながら決勝を見ていた。ピザでも鍋でもケンタッキーでもない、普通のいつもどおりのご飯。
 M-1をしっかりと最初から見たのは、そのときが初めてだった。コントと漫才の違いもあんまりわかってなかった。でも、センターマイク一本を挟んで話術のみで笑かすその演芸というものに、高校生ながらロマンとあこがれを感じた。こんなことができたら人生楽しいだろうな。どこかですでに諦めながら、そして冷めながら、私とは違う世界の生き物たちを見ていた。

 なのに、翌日私はTSUTAYAにこれまでのM -1グランプリのDVDを借りにいったのだった。

 センターマイクだけでお笑いができるということが、率直にかっこいいと思った。2人が話しているだけでお笑いになって、誰かを笑わせたり、元気にしたりできることがかっこいい。
 その「かっこいい」という気持ちだけで、挑戦するだけなら問題ない。そして、ひょっとしたら私たちにだって、日の目を見る瞬間があるかも。そう思って養成所に入った。そのときにはもう私は、M-1はもちろん、劇場にも足を運んで漫才を見にいくようになっていた。

「日の目を見る瞬間があるかも」これは正直、保険をはっていただけだ。本心、私の中では、絶対にどうにか売れて、あの違う世界の生き物の中に混ざり込みたいと思った。もしかしたら、今は絶対に違うけど鍛錬を積めば、私も違う世界の生き物になれるかもしれないと思っていた。

 でも、養成所に入った瞬間、「違う」と思った。私が2008年にTVで見た、違う世界の生き物たちがうじゃうじゃいた。努力で違う世界の生き物になれるわけじゃなかったみたいだ。そりゃそうか。
 私は普通の人間だった。他の同期より吐く息の温度が、1度低い。目の鋭さが、0.5度鈍角だ。声の大きさが、8dB足りない。養成所のライブの動画をみても、なんとなく私だけが素人のお遊戯会に見えた。少し練習した素人、本気で取り組んでいるはずなのに、なんかずっと足りてなかった。毎日毎日練習したし、たくさんネタを書いた。でもどう頑張っても足りなくて、みんなのように光れなくて、これで本気でやってますとは到底言えない気分になった。このレベルで本気で取り組んでるなんて恐れ多くて言えるわけもなかった。そうなると、お笑いが私からどんどん逃げていくのがわかった。おもしろいことを考えることが大好きだったのに、漫才でウケたあの感覚が大好きだったのに。お笑いは私から遠いところで、違う人のおかげで輝いている。私だってできると奮闘する。でもうまくいかない。周りがすごい。私はどうだ? これで本気なのか? 甘ったれるな。

 いつからか、「好き」だったお笑いが、「好き」か「嫌い」で測れるものではなくなっていき、「得意」か「不得意」かの物差しでしか測れなくなってしまった。


「好き」だけど「不得意」。

 残酷な結果だ。「不得意」を自覚するとどんどんと好きじゃなくなってしまった。

 こんな簡単に「好き」が消えてしまうのなら、私は、お笑いを、やってはいけない。
「好き」でやっている人に失礼だ。「好き」を真剣に取り組んで仕事にしようとしている人たちと、一緒にやることは許されてはならないと思った。

 このままやめたら後悔するだろうと思ったけれど、後悔というのは案外握り潰せるらしい。だって私は「好き」だけど「不得意」だから。
 お笑いができたことは、人生の中での大きなイベントだと思うことにした。孫ができて「おばあちゃんは昔、ちょっとだけ芸人しててんで」と正月の集まりのトピックになればいい。私がこの世からいなくなっても、それをつまみにみんながおいしくお酒を飲めればいい。誰かの会話のきっかけになればいい。そうやって、後悔は握り潰ぶせるようになった。
 養成所まで入って、TVで活躍している方々と同じ舞台に立てた。豪華な参加賞だ。私の人生のすばらしいスパイス。メイン料理にはなれないけども、私の人生をピリリと効かせてくれる。
 人生をかけてやるまでの才能がない、そう思ってやめた。でもそのとき、そこまで悲しいと思っていなかったことも、私がお笑いをやめることをなおさらに納得させた。

 なのに、TVで見るM-1に、ずっとずっとあこがれをやめることはできなかった。ああ、私はどう考えても、お笑いが「好き」なんだと思った。結局ズルズルと2015年、2016年とM -1グランプリに出続けた。お笑いはやめているのに。もちろん負けた。そりゃそうだ。私は違う世界の生き物じゃないので。でも、TVで見るM-1は、やっぱり「好き」だった。

 2017年、アマチュアながらにいい結果を残した。少しだけM -1が味方してくれたように感じた。違う世界の生き物だとは思わなかった。どこか、M -1が根負けしているような感覚に近かった。

 そして私は決心してしまう。「不得意」なのはわかった。でもずっと「好き」でい続ける。誰よりも本気で好きを突き詰めれば……お笑いは根負けしてくれるかも。

 2018年、就職しながらお笑い活動を再開した私たちは、仕事の合間を縫っては劇場のある難波まで走り、次の日も仕事に行くような生活をしていた。
 週に二日ある休日は、どちらも道頓堀の寄席小屋の前で呼び込みをし、一日中舞台に立っていた。仕事帰りのコンビニで具を見ずにおにぎりを買い、ほこりっぽい廊下で食べながらネタ合わせをする。新ネタ披露前は、仕事の昼休みに誰もいないトイレに行って、ネタを書きながら昼ごはんを食べた。
 芸の道一本でやっている先輩方に迷惑をかけないように、真剣にやっていることが伝わるように、そして仕事しながらだからそんなもんでしょと言われないようにするために頑張った。それはまったく苦じゃなかった。眠たかったし、おなかは空いたし、ときどきは旅行に行きたかったけど、好きだったから、何もしんどくなかった。

「ふ〜ん、仕事の合間でお笑いやってんねんや〜」

 仕事をしながらお笑いをやっていることを伝えたら、先輩は興味なさそうに携帯をいじりながらつぶやいた。

 そうか、私の「本気」は「合間」だったか。

 悪気のない、率直な意見がより一層私の胸を潰す。何をどうすれば「本気」と捉えられるのだろうか。それは、どうやら結果しかないようだった。M -1グランプリで結果を出すしかなかった。
 もちろんM -1グランプリがすべてじゃない。絶対そんなわけない。
 でも、M -1がすべての「とき」もある。当時の私はそうだった。2017年の結果はまぐれだ、ビギナーズラックだと、少なくともほかの芸人はみんなそう思っていたことをそのときに理解した。

 じゃあやらないと。「好き」だけど「不得意」な私が、M-1を根負けさせないと。


 仕事をやめた私には、時間がありあまった。ネタがたくさん書けて、たくさんのライブに出れた。反対にどんどん貧乏になっていったし、学生時代の友達も、社会人時代の友達とも会わなくなったけれど。会う人はお笑いの人だけ。脳がずっとお笑い。それでもいいと思えるくらい、お笑いに明け暮れることができた。「好き」が「不得意」を乗り越える兆しが見えてきた。裏切りもののM-1を根負けさせられたら、私にもとうとう「得意」と思えるときが来るかもしれない。その時にやっと「お笑い」だけじゃなくて、「自分」のことも好きになれるかもしれない。

 M -1のせいで漫才を始めて、M -1のせいでお笑いが「不得意」であることを知った。でもまた、M-1のせいでお笑いを再開させてしまった。こんなに振り回されているのに、M -1は私にちっともやさしくないのに、すがりついていて大変滑稽だ。私がもうひとりいたら、もうやめときなよって言ってあげたい。
 でも、M -1に出なければ、「好き」な気持ちが「不得意」のせいでしょぼくれてしまうことを知らなかった。そしてその「不得意」は「好き」な気持ちを突き詰めることで倒せるって知らなかった。M -1は「違う世界の生き物」でない私をかぎりなく「違う世界の生き物」に近づけてくれた。そしてそれは自分を、図太く厚かましくしてくれた。

 私の「夏」も始まった。今年こそ「夏」を続けられるように「好き」な気持ちを忘れない。


みんなもお願いやで


 ズルいなと思っていた。

 まじめな奴が毎日遅刻せずに通学できていても褒められないのに、ヤンキーがたまに遅刻しなかったら褒められる現象に。

 中学の部活で、バレーボールはすこぶるうまいけれど、生活態度が悪い奴がいた。先生はその子のことをずっと気にしていたし、私も気にしていた。根はいい奴ってわかっているし、何よりバレーボールが大好きなことも知っている。でも、遅刻をしたり悪さをしたりして、先生に怒られることが多かった。

 ある日、コテンパンに怒られたその子は、拗ねに拗ねて、家に引きこもって、部活に来なかった。

 部活に来ないなんて、その当時は大事件だった。私たちは心配でその子の家に行った。「一緒に先生に謝ろう」と「一緒に部活がしたいからやめないで」とインターホン越しに声をかけた。

 その子は「ありがとう、ごめんなさい」と泣きながら出てきて、一緒に先生に謝って、先生も許した。「お前は素質があるんだから、期待してるぞ」とやさしい顔でその子に伝えた。大団円だった。

 こんなにも大団円なのに、私の大好きなチームメンバーと部活ができるというのに、私はほんの少し心がごわついていた。

 その子と先生の間には、私と先生の間にはない、確固たる絆があった。

 それは目に見えるものじゃない、浅はかに語られるものじゃない、苦難を乗り越えてやっとの思いでたどり着けるようなもの。
 今後の人間活動の要所要所に出てきて、ピンチを助けてくれそうな経験から基づく絆があった。


 私はメンバーの中でバレーボールがいちばんへただった。だからみんなに必死に追いつこうと部活とは別に練習に明け暮れた。もちろん、生活態度もよかったし、遅刻をしたことなんてなかった。一度、ジャンプして着地するときに、ボールを踏ん付けて捻挫したけど、テーピングでぐるぐる巻きに固定して部活に出ていたし、寒い時期には誰もやりたがらない雑巾を洗うのを率先してやった。

それでも先生は私に対して、褒めることも叱ることもしなかった。

 ある試合で、私がサーブミスをした。これはだいぶ怒られると思った。ほかの子がこんなミスをしたら絶対に怒られるところを見ている。これよりマシなミスをしても怒られるし。これはやばいなと身構えていたのに、全然怒られなかった。

 心のごわつきがどんどん大きくなった。

 私はこんなに部活が大好きで、どうにか貢献したいと思っていて、その思いには到底及んでいないような実力で、もっともっと怒られていいのに怒られない。気にかけてもらえてない。
 ねぇ、先生。私が、毎日自主練していること、腫れてる右足を隠していること、寒い時期の雑巾洗いを率先してやっていること、気づいていますか。先生が褒めた、その子の掃除、箒で掃いてるだけですよ。冬の雑巾って、冷たいんですよ。でね、トスするときに冬は爪と皮膚の間が割れるでしょ。一応テーピング巻いてるけど、これが沁みて痛いのなんの。実は、こないだ捻挫したんです。まだ痛いんです。いてててて。靭帯も損傷してるかも。歩くのも精一杯なんですが、今日の練習メニューは全部こなしましたよ。先生、先生。

 吐き気がするほどダサい考えが頭に浮かぶ。雑巾を絞りながら、脳も絞る。汚い毒汁がビチビチ出てそれを排水口に流す。さすが私の毒汁、特に抵抗なく流れる。こういうときに抵抗したら、もしかしたら先生から何か言ってもらえるのかな。いやいやいや、アホか。私は目的を履き違えている。チームの勝利を目指すのだ。私の努力や我慢を褒めてほしいから部活をしているのではない。情けない。わかってほしいという気持ち、本当に情けない。こんな気持ち消えてくれ。でも、あの子は箒で掃いてるだけで、遅刻をしないだけで、ちょっと大きい声を出すだけで褒められる。そんなこと私は1億年前からやっている。ズルい。いや、ズルいなんて思っちゃダメ。何を自分を悲劇のヒロインみたいに。何よりその子にそんなことを思いたくないのに。気持ち悪い、自分。


 私はどんどん、なりたい自分と距離が空いていく。私は今、まじめにやることが結果につながるとは限らない世界にいる。私のごわつきは大きくなる一方だ。手のかかってる人のほうが評価されて、おもしろおかしくなる。まじめにやれないこと、失敗したこと、どんどん笑いのタネになる。すごい世界だ。本当にすばらしい世界だ。

 本当にすばらしい世界だと思っているか?
 お前は、頑張ってる奴がダブルピースしているところを見たいんじゃないのか?


「雨に打たれたら口紅」というライブがある。 
 親友の作家の「女性芸人だけのネタライブってないよな」いう、と深夜3時の居酒屋でのおぼろげなつぶやきから始まった。そのおぼろげは確実に芯を持っていて、なぜか必ず実現するべきだと感じていた。
 女性芸人がネタだけを研ぎ澄ますライブ。メンバーは解散したり、追加したりと変遷はあるものの、続けてもう5年になる。

 今日も黙々とみんなが壁に向かってネタ合わせしている。世間話もそこそこに、自分たちのネタを磨いている。同年代の女子がこんなに集まっているのにも関わらず、化粧の話も、最近見たエンタメの話も、腹の立つスタッフの話もしない。黙々とネタを研いでいる。明らかに頑張っている。もう背中を見たらわかる。彼女たちは、ただおもしろいネタをするためだけに頑張っている。

 飲み会もあんまりしない。全員で飲みに行ったのは数えられる程度だ。喧嘩もしない。涙の相談会もしない。怒りもしないし、怒られもしない。私と違ってみんな文句ひとつ言わず淡々と頑張っている。

 女性芸人は難しい。芸人界という圧倒的に男性が多い界隈で、ネタを見てもらうことそのものにハードルがあることもある。自分のやりたいことが「性差」によってはばまれることもある。
 でもそんなこと関係なく、自分のやりたい道に突き進む。みんながそれぞれの持ち場で、いろんなものと戦いながら、渋い顔して飲み込みながら、ときには吐き出しながら、頑張っているところを感じられるのが私の心の支えだ。


 誰も楽屋で最近こんな仕事をしたなんてあんまり言わないから、ライブのエンディングで話を聞く。みんなすごい仕事をたくさんやっている。頑張っているから報われている。多分勝手に、私と同じような経験をした人たちがたまたま集まっているんじゃないかなと、そう思う。

 ライバルではない、謎の仲間たち。いろんなことを抱え込んでる背中を見せて、ひとりじゃないって励ましてくれる。大切なことは淡々とやり切ることだと横顔で教えてくれる。心がごわついて揺らいで諦めかけたとき、頑張る大切さを教えてくれる。
 自分よりいい仕事をしていたら、ちょっと悔しい。でも大きな仕事をしていたらとっても嬉しい。コンテストで結果を出していると、ずっと嬉しい。そんな仲間たち。

 私はみんなに何もできてない。ちゃんと「姉さん」できてないし、ご飯も奢れてない。ちょっとした異変や、落ち込んでる顔を見て、励ますこともできてない。すぐに拗ねてダサいことばっかり言う。

 でも、毎月ネタ合わせする背中越しに、みんなから壮大なパワーをもらっている。だから私も、まじめに頑張ってたらダブルピースできるって伝えられるように、頑張ろうと思う。


顔、重ねてもうた


 深夜3時、小さな部屋で、「あぁ!」と大きな声が響いた。一瞬何が起きたかわからなかったが、自分の声だった。布団から起き上がって、壁に背中を預けて座った。目だけはまだ眠たいのか開かなかった。世界を見たくなかったからかもしれない。

 先ほどまで単独ライブで舞台に立っていて、目の前の客席はスカスカだった。スタッフたちの、気遣った顔だけが近くにあって、打ち上げでは誰ひとり単独の話をしなかった。罪悪感とやるせなさで、叫んでしまったところで目が覚めた。

 私は日々頭を抱えていた。単独ライブが売れていないことはまぎれもない事実だった。
 優勝して、露出も増えたから、客席数が多い会場にした。さすがに売り切れるだろう、と思ってしまっていた。
 でも、現実は半分程度。
「このままだとスカスカだ」と嘆いていたら、ついに、夢にまで出てきやがった。

 優勝してから思い描いてた生活と、今の生活は大層違うものだった。
 優勝したらすべてが報われて、今までの努力や苦悩は優勝のためにあって、そのあとの
生活ではウィニングランを堂々と走れるものだと思っていた。見たことない景色をしっかり見渡せる余裕もなく、「いつのまにかうまくいきました」と、少し痩せてきれいになってプロにめかし込んでもらった私は、何もかも得たような顔で話すものだと思っていた。今まで相手にされなかった人たちに相手にされ、想像以上のことがオートマチックに起こるものだと思っていた。
 まあ、本当のことを言うと、私のような本物でない人間はそんなにうまくいくなんて思っていなかった。でも、それにしても今の状況よりはもうちょっとうまくいくと思っていた。

 優勝後に初めてやる単独ライブ、優勝前にやっている単独ライブよりお客さんが入っていない。
 情けない、のひと言に尽きる。どこから間違っていたのかわからないが間違っているのは事実っぽい。
 この結果を真摯に受け止めないといけない。「THE W、8代目から売れていないな」と思われるんだろうな。SNSでそんな悪口をさらさら書かれるのは嫌だな。でもそんなことすらも書いてもらえなかった。

 人気がないことをさらけ出してみるのはどうかと思った。才能がないこと、人気がないことを逆手に取って、もうボロボロになる覚悟で生きていくのはどうかと思った。私たちが売れないことで大会にも迷惑をかけてしまうこと、周りのスタッフにも芸人にも矛先が向くことが怖すぎるから。ファンの期待を現在進行形で裏切り続けていることが怖すぎるから。
 だから、売れるなら何でもやりたい。どうにかこの現状を打破したい。
 でも、私はそのスキルを持ち合わせていないようだった。やってみたって痛々しさが残る。
 もしかしたら、多分私の中の何かがそれを許してないからできないのかもしれない。まったくめんどくさい人間だ。失敗したら言い訳ばっかりで、行動に移せない。自分の大切な枠の中からははみ出ることができない、勇気がないだけの愚か者だ。


 潮時なのかな、そう思った。


「THE SECOND一緒に見ましょうよ!」

 芸人仲間から誘われたけど、そんな気分になれなかった。この大会を見れば、私は私を諦められると思う。でもそんな姿を他の芸人に見せることはできなかった。気を遣わせることは極力避けたかった。

 結成16年目以上の漫才の大会。この芸歴で続けていることは奇跡に近い。ちゃんとお笑いを続けようと思い続けられていることは、さまざまな奇跡が重なり合った偶然なのだ。
「好き」だけではどうにもならない領域の、言葉にできない、奇跡の塊だ。

 仕事のあと、帰り道でピザを注文してひとりで帰った。せめて、楽しく見たい一心だった。お笑いの大会ではピザを取って食べている人たちがたくさんSNSにいる。元来、お笑いは楽しいものだから、私も「正規」の方法でお笑いを見たかった。楽しく見られないのは、私のせいなだけだったから。

 ピザとコーラを準備して、お世話になった兄さんたちの姿を見た。
 おもしろかった。人生をかけてお笑いをしていく兄さんたちの声に、汗に、唾に、すべてに感動した。芯から震える、痺れる感覚を真正面から受け取ろうとしたのか、気がついたら正座をして見ていた。

 その反面、この人たちはどれくらいの「潮時」を迎えてきたのだろうと思った。どれだけ、解散しかけて、交差点で数時間も話し合ったのだろう。どれだけのライブで集客に頭を抱えたのだろう。もう、俺らは才能がないと泣いたのだろう。いろいろ諦めて、酒にタバコに女に逃げたのだろう。それでもなお、センターマイクの前に立てる理由は何なのだろう。ピザはどんどん冷めて、コーラの結露が水溜まりになり、私のキモい顔がうつる。

 私は見たことがある、「お笑いをすることが楽しくってしかたない」とは、思っていない兄さんたちの顔を。
 私は見たことがある、「ここで決めないと後がない」と思っている兄さんたちの顔を。
 今の私と同じキモい顔をしている兄さんたちを、私は、見たことがある。

 それでも、それでもなお、私はこの人たちと違うということを思いたかった。この人たちはもともと才能があって、不遇な結果、ここまで見つからなかった人だ。
 私は、とある大会で見つかった。
 なのに、結果を出せずにいるだけ。根本的に私とは違う。
 不遇な兄さんたちと、優遇を掴み取れなかった私。絶対に重ねるな。私と兄さんたちを、絶対に重ねるな。

 だめだ、それでも重ねてしまう。私もこうなれたらと思ってしまう。

 思い出した。「自分に自信を持てるまで19年かかった」と困った顔で話してくれたときのことを。
 思い出した。ネタ終わり神妙な面持ちでいつまでも話し合っている兄さんたちを。
 思い出した。「優勝してえなあ〜」と遠くを見る2人を。

 目の前で説教されているくらいには、真っすぐなお笑いたちだった。
「俺らもこんなんやった。何とかなるかはわからんけど、続けろ」と言われている気がした。
 将来的に何とかなるのかはわからん。本当にわからんけど、不遇な兄さんたちが目の前の人たちを笑かしているのを見ると、今、私を求めてくれている人たちの今をちょっとだけ明るくできる、気はする。そんな気にさせてくれる。

 終演後、お客さんが高円寺の駅に向かって歩きながら「おもしろかったね」と話している将来を想像してみる。嬉しい。よかった。大丈夫、この未来は絶対来る。来させてみせる。私は冷めたピザを温め直しに、力を入れて立ち上がった。


「しょぼくれおかたづけ」(発売中)
著:伽説いわし
定価: 1,980円 (本体1,800円+税)
発売日:2025年12月11日
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