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本作は過去のあの監督作品と姉妹作!? 「A.I.C.O. Incarnation」村田和也監督インタビュー

2018年05月02日 18:00配信
本作は過去のあの監督作品と姉妹作!? 「A.I.C.O. Incarnation」村田和也監督インタビュー

Netflixにて全12話・全世界独占配信中の「A.I.C.O. Incarnation」

(C)BONES/Project A.I.C.O.

現在Netflixにて全12話・全世界独占配信中の「A.I.C.O. Incarnation」。「月刊ニュータイプ」4月号では配信直後のタイミングで記事を掲載しましたが、その際に行った村田和也監督インタビューのロングバージョンをWebNewtypeにて公開。監督がこの作品を通じて伝えたかったこととは?

――「A.I.C.O. Incarnation」はNetflixで全話が一挙に配信されました。こうした発表方法は、作品づくりに何か影響を与えましたか?

村田:もともとシナリオの時点までは通常のTVシリーズとして制作していて、Netflixでの全話配信は後から決まったことなので、ストーリーには大きな影響はありませんでした。そこから映像にしていく段階でも、配信だからといって特別に意識したことはないです。ただ、テレビは不特定多数の人が偶然見る可能性がある媒体なので、表現の内容であったり表現方法に対して、ある程度は手加減というか、遠慮しなければならない点があります。それに対してネット配信は劇場作品に近い、お金を払って契約している人が作品を選んで見るというスタイルなので、内容に制限をかけずに絵コンテを切ることができたということはありますね。それからスケジュール的な部分で、テレビシリーズよりも粘らせてもらえるところはありました。おかげで後半の話数の絵コンテを切りながら前半の絵コンテをちょっと修正して描写をリンクさせたりもできましたし、オープニングとエンディングの映像も、最終話までの制作の見通しがほぼ立った状態で、本編の内容とつながりをもたせてつくることができたんですよね。

――デメリットを感じたところはありましたか?

村田:難しかったのはスタッフのモチベーションの維持の仕方ですね。テレビは毎週オンエアがあるので、期日までに必ず完成させなければいけないというのが原動力になりますし、放送されたらネット上や知人からなどの反響があるじゃないですか。ああいうものが励みになるのですが、全話同時配信だとそれができないんですよね。

――なるほど。では、改めて話をさかのぼらせていただいて、本書の企画の成り立ちからお話をうかがえますか。

村田:「翠星のガルガンティア」の放送中に、ボンズの天野直樹プロデューサーから、バンダイビジュアル(現:バンダイナムコアーツ)とボンズでオリジナルのテレビシリーズの企画を考えているということで声をかけていただきました。その時点で「チームもの」で「アクションもの」だという企画へのオーダーがあったんです。そこで何がしかの特殊な状況が生まれ、そのなかでミッションをこなすためのチームが結成され、活躍するようなお話をやりたいと思いました。2013年ごろですから、時期的にまだ東日本大震災のころの空気も濃厚に残っていて、その感覚を企画に出したかった。

――大事故である「バースト」や、そこからの「マリグナント・マター」の発生という特殊な状況、そして「ダイバー」という対策チームの存在につながる今作の企画の骨子はそうして作られたわけですね。

村田:そうですね。で、そうして話を進めていく中で、僕が以前から考えていた「ひとりの女の子の体が分離されて、2人になってしまう」というネタをそこに合わせることになったんです。

――その設定は何がきっかけで思いつかれたのですか?

村田:ひとりの人間が極限状態に置かれるとはどういうことだろうか。そもそもどういう状況が極限だといえるだろうか。そんなことを考えていたときに、命の危険にさらされるとか、精神的に追い詰められるとか、いろいろと考えられるけど、自分の身体を失ってしまう、というのも一つの極限状態かなと思ったんです。何らかの理由で脳以外の全ての部分が奪われるという状況。で、さらにそこから進めて、奪われた身体の代わりに人工的な身体があてがわれて、逆に奪われていった身体の方には人工の脳があてがわれれば、自分という存在が2つに分かれて、この世に自分が2人いる状況が生まれる。そんな状況に置かれる主人公を、ひとりの少女と設定して、そこに少年の姿をしたある人物があらわれ、失われた自分の体を取り戻す旅が始まる。そんなネタを考えてたんですが、それが今回の企画に取り込めるんじゃないかなと思ったんです。結果、吸収合体されて生まれたのが「A.I.C.O. Incarnation」ですね。ちなみに余談ではあるのですが、フリーの演出家になってすぐのころ、オリジナル企画のネタをふたつ思いついていたんです。ひとつが今お話した女の子の体をふたつに分離するというネタで、もうひとつが巨大な船団の上で生活している人々の話でした。後者が先に「翠星のガルガンティア」という作品になり、もうひとつが今回の「A.I.C.O. Incarnation」になりました。

――つまり直接の企画の関連性はないけれども、監督のなかでは姉妹作?

村田:そうなんです。同じ時期に思いついたという意味で、作品のカラーは全然違うんですけれども、僕のなかでは対になっているところのある作品です。これから先の未来で人類に起こるかもしれない出来事、そして人類という「種」の未来の在り方を扱っているという点で、大きな意味でのテーマ性も共通しているように思います。

――では、そうしてでき上がった企画の骨格に、具体的な肉付けをしていく過程ではどのようなことを考えておられたのでしょうか?

村田:この作品では、今のわれわれが住んでいる現実と、この作品のなかの「現実」が地続きな感じを出したかったんです。iPS細胞などの再生医療技術が発展して、人工的に臓器をつくることが現実の問題になりつつあります。そこから人工的に人間をつくる話まではあと一歩……倫理面は別として、少なくとも技術的には可能になっていくに違いありません。そうした今の我々が住んでいる世界の延長線上にこの作品の世界があるように見えてほしいというのが、いちばんこだわった部分ですね。もちろん、フィクション特有のいろいろな嘘は取り込んでいます。たとえば、黒部峡谷に巨大なバイオ研究都市が発展するなんてことはないですよね。あそこは国立公園ですし。ただ、舞台は嘘をついても、そこで人工生命体の大暴走みたいな事故が起こったときにどんなことが起こるかは、初期設定から演繹して、現実感のある展開を考えていました。登場する人物に関しても、現実にいそうな人たちとして考えていきました。主人公のアイコはそうした発想の典型的なヒロインです。すぐそこにいそうな、明るくて、能天気なところのある性格で、突飛な何かをもっているわけではない女の子。アイコが旅立つきっかけとなる雄哉は特殊で謎を秘めた人物ですが、それ以外の人たちはそれぞれ社会的なポジションや目的が明確にあり、作品世界の「現実」のなかで生きていると感じられるように描くことを心がけました。突拍子もない、スーパーな力をもった人はいない。天才的な科学者くらいですね。でもそれも、どこか現実にいそうな雰囲気を出すことをめざしました。

――アイコはもともと普通の女子高生として暮らしていたわけですが、チームと行動するようになってから、仲間の中での自分の役割を見つけようと奮闘します。

村田:ただ単に運ばれているだけの人でいることを、アイコはすごく嫌がるんですよね。メンバーのために何かがしたいというか、目的のために自分も力を発揮したいという意識がある。それは僕にとっては、人間の欲求として自然なものだと感じるんです。

――どういうことでしょう?

村田:僕は、人が生きることは、すなわち「仕事」をすることだと思っているんです。「翠星のガルガンティア」で監督を務めるにあたって、自分なりに「仕事」とは何かを整理したのですが、僕の考えでは自分や自分の仲間を生存させるための行為すべてが「仕事」である、と定義できたんですね。そして「仕事」以外のことは基本的にすべて「遊び」、つまりは好奇心に基いて行われる、生存することとは直接関係のない行為である、と。僕は人々の生活というか、生業(なりわい)を描きたいというのがいつも念頭にあって、だから関わる企画が「仕事」を扱った作品になりやすいんだと思います。逆に僕の定義でいうところの「遊び」にあたるものが作品の中心になる、「学園もの」とか「スポーツもの」は、監督として手がけるのは難しい。そのジャンルの中で、例えば「最強者をめざす」とか「恋愛を成就させる」みたいに目的が完結してしまっているものには興味が持てないんです。「スポーツもの」であれば、そのスポーツ自体の面白さを追求するのではなく、そのスポーツをすることを通じてその人の人生や、生活や、何かしら達成したい目標を実現していくことの方に関心があります。そういう作品であれば、それはそれでアリなんだろうなという気はしているんですけどね。

――では、そんな監督が今、最も興味をもたれていることはなんですか?

村田:大きいテーマでいうと、「人類のこの先のありよう」みたいなことですね。今、人類が、自分を自分の手で生物学的に進化させる技術を手に入れようとしています。一方、コンピュータの技術も、人間の知能を凌駕するのが時間の問題といわれています。その2つが相関する、あるいは対立することがあったときに、何が起こるのか。ようするに、人間の知能をはるかに超えたコンピュータと、人間の力によって作り出されたこれまでの人間をはるかに超えた能力をもった人間たちによって構成される社会はどんなものになるのか? そうした時代が訪れたときに、「人間の幸せ」とは何なんだろうか? そんなことに興味があります。こうした題材を扱うと、ハリウッド映画などでは悲観的あるいは暴力的なビジョンが描かれがちなので、僕はそれをポジティブにとらえた作品をつくることができないかなと考えています。僕たちの想像を絶するような事態を、何とかして映像作品にしてみたいですね。

【取材・文:前田久】