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ギアとタンカー、カブラギとナツメ――。世界観の違いがあらわとなり、急展開を迎えた「デカダンス」。本作の魅力を掘り下げるリレー連載第9回は、2回目の登場となる立川譲監督にこの世界へ込めた想いを伺いました。
――まずは人間にとっての現実世界がサイボーグにとっての娯楽施設だったという設定に驚きました。どんなアイデアからこの設定が誕生したのでしょう。
立川 まずは大きなテーマパークのような世界があって、その社員のサイボーグとそこで生きている人間の女の子が関わるという、背景がまったく違う者同士のドラマを描きたいと思ったんです。お互いに「生きる」という意味が違っているので、そこが重なり合うことで本当の意味で「生きる」とは何かを二人が考え、影響し合っていく。そういう物語を考えていました。
――カブラギとナツメでいえば、寿命そのものが違いますよね。カブラギは「スクラップマデ175年」となってしましたが、サイボーグはどれぐらい生きられるのでしょうか。
立川 サイボーグには耐用年数がありますが、きちんとメンテナンスをすれば200年ぐらいは生き続けられます。ただ、カブラギはそれを待たずに自分の命を終わらせたいと考えていました。それは、会社(ソリッドクエイク社)のパーツとして生み出され、その一員としてずっと生きてきたけれど、この命は本当に自分で選択した命なのか、ちゃんと意志決定して行動した結果なのかと疑問を持っていたからです。逆にナツメは自分のしたいこと、やりたいことを自分で決めて進んで行くので、そこでカブラギとの対比ができればなと考えていました。ただ、カブラギは諦めてはいるけれど何もないキャラクターではなく、その芯にはちゃんと熱意や意志といったものがあります。
――どのサイボーグもそれぞれに個性があり、どこか人間味があるところが面白いです。
立川 会社の一部として会社の決定には逆らえない、本当にサイボーグ然としたサイボーグにしてしまうと何も物語が発展しないんです(笑)。それも個性を持たせた理由の一つで、サイボーグは全員ちゃんと意思を持っています。一見すると中身は人間と同じように見えるんですが、例えば、先ほど言ったような寿命の違いや第3話のナツメの義手のことなど、生きることに対する認識の違いがあるので、そこに焦点を当てたいと考えました。
――ナツメの義手、ですか。
立川 カブラギが取り換えればいいと言ったのは、サイボーグは自分のパーツが古くなったら新しいものに変えて、メンテナンスしていくのが当たり前だからなんです。ナツメとしてはずっと愛用してきた特別なものですが、カブラギからすれば使いづらければ換えればいいんだし、悩む必要もそこで立ち止まる必要もないだろう、と。序盤はそういった認識の違い、価値観の違いをどんどん重ねていきました。
――第4、5話で顕著にあらわれましたが、ギアとタンカーはガドルとの戦闘に対する認識や死生観が全然違いますよね。
立川 ええ、ギアたちは戦闘をゲームとして楽しんでいて、タンカーたちは決死の覚悟で戦いに臨んでいます。そうなると、「じゃあ、なんでタンカーはギアのノリを不思議に思わないのか?」という疑問が生まれると思うんですが、タンカーからするとギアって戦闘民族のようなものなんです(笑)。これは実際にシナリオをつくる中で出てきた疑問点で、ほかにも「自分がタンカーだったらこれは気になるよね」みたいな話はホン読み(シナリオ会議)でよくしていました。
――監督は前回のインタビューで、一度全話のシナリオを書き切り、改めて前半に立ち返って後半のエピソードを反映させたとおっしゃっていました。まさにそういった部分をフィードバックしていったのでしょうか。
立川 そうです。特に変わったのが第5話までの内容ですね。例えば、今は名前も出ていないようなキャラクターがいて、世界観をもっと詳しく説明するという小さなエピソードもありました。ただ、後半を生かすためにも前半でカブラギとナツメの関係性をもっと掘り下げないといけないと気づいて、小さなエピソードよりも二人のドラマのほうを取ることにしたんです。カブラギとナツメはお互いに足りないところがあり、それを補い合うカタチで影響し合う。第2~4話はその影響関係を大切にしました。
時間のかかるシナリオづくりでしたが、「カブラギとナツメの関係性はここまでにこれぐらい進んでいないといけない」という逆算もできたので、結果としてはこのやり方でよかったなと思います。もし普通のやり方で1話ずつ最後まで作っていたら、本来やるべきことができないまま第5話を迎えていたかもしれないですね。
――また、「バグ」という要素も本作の重要なキーワードですが、これは今後さらに掘り下げられていくのでしょうか。
立川 「デカダンス」の世界が「ジュラシック・パーク」のような大きなテーマパークである以上、システムに対するバグの問題はしっかり描きたいので、テーマの一つとして最後まで扱っていくつもりです。
結局、バグというのは何らかの基準をもとに判断されているわけです。じゃあ、それは誰が決めたバグなのか。その判断に従うだけでいいのか。カブラギにとっても重要なキーワードですし、自分がちゃんと決めて行動しているのかという自由意志に関わる問題でもあるので、今の時代に置き換えて考えることもできるのではないかと思います。
――その判断は自分が選んだものなのか、自分で考えたものなのかということですね。
立川 我々の世界で言い換えると「常識」というものになると思うんですが、今ある常識には10年前はなかったものがありますし、ずっと常識だったものが一変することだってあるわけですよね? そう考えると、常識と言われるものの是非や受け止め方って自分で判断しているようで、実は世の中の流れだったりいろんな人に影響されていたりして、本当に自分は自分で判断できているのかと疑ってしまうんです。そういったものを考えるきっかけになるんじゃないかなと思います。
――では、映像面についても伺えればと思います。ゾーン内で繰り広げられる重力を無視したバトルはどのようにして生まれたのでしょうか。
立川 大きなテーマとしてあったのは、「血の回収」というゲーム感ですね。ガドルの血、オキソンはサイボーグにとっても人間にとっても重要なエネルギーなので、戦闘ではその血を回収しなければならない。だから、ギアたちはタンクを背負って、注射針のような武器で血を噴き出させ、血を回収するという設定が最初にありました。
アクション系のゲームでよくありますよね、敵を倒すとアイテムやポイントが出てきて、それをキャラクターが拾うとパワーが上がったり、経験値が増えたりするって。「デカダンス」の戦闘もそういう感じにしたかったんですが、重力がある状態だと血を集めるのが難しいなと思ったんです。吹き出した血をふわーっと集めたかったので、そこから重力が不安定になる「ゾーン」という設定が生まれました。
――あれは無重力ではないんですか?
立川 厳密には重力が不安定な状態で、その中の物体は急に浮いたり急に移動したりします。この設定のおかげで戦闘シーンの自由度はかなり増しました。空中に浮かんでいても大丈夫だし、滑空させることもできる。ベースにあったのは「血の回収」というアイデアでしたが、アクションの見せ方として演出の幅が広がりました。
――また、デカダンスのスケールの大きいバトルも見応えがありました。デカダンスのモデルを「手」にすることは最初から決まっていたんですか。
立川 初期の段階で決まっていました。パンチではなく大きな武器で斬りかかるといったパターンも考えたんですが、パンチが飛んでくるほうがプレイヤーに対してのショーとしてはキャッチーだと思って(笑)。直接的で説得力があるような気がしたんです。
――超巨大なデカダンスを描くのは、苦労も多いのではないでしょうか。
立川 巨大なものを描くこと自体もそうですが、何より変形するのが一番苦労しますね。というのも、変形機構はそれぞれのパーツがどんな動きをするのか、デザインの時点で考えないといけないんです。変形しなければ画づくり優先で見映えがよければそれでいいので、理屈はあとからつけ足していけばいいわけです。でも、今回は最初から手に変形することが決まっていて、どこからどうエンジンが噴射して、各パーツはどういう動きをするのかという構造をデザインの段階で落とし込まなければいけなかったので、それが一番大変でした。
――デカダンスのスケールの大きい戦闘にワクワクさせられます。
立川 細かい理屈を言い始めると「ここはおかしいよね」という部分もあるんですが、スケールが大きいことでごまかせている部分がいっぱいあって助かっている部分もあります(笑)。
――ありがとうございます。では最後に、第6話以降の見どころを教えていただけますでしょうか。
立川 第6話からクセのあるサイボーグがわんさか出てきます。演じられる声優さんも特徴のあるお芝居をされる方ばかりですし、サイボーグ世界の新たな一面が見られて、かなり新鮮な雰囲気になると思います。サイボーグ同士の関係性にも注目していただきたいですね。
【取材・文:岩倉大輔】