スタッフ

間近で感じた背景美術の転換期――Creators Dialogue 2024 草森秀一×木村真二対談

写真左より草森秀一さん、木村真二さん


現在、ニュータイプ本誌で連載中、アニメの現場の各セクションのクリエイターが対峙し、現状について話し合う「Creators Dialogue 2024」。現在発売中のニュータイプ4月号では日本アニメの背景美術を担ってきた木村真二さん、草森秀一さんの対談を掲載。1万字近くに及ぶ記事の中から抜粋してお届けします。



──仕事を始めたころから現在に至る過程でいろいろな変化のタイミングがあったと思うのですが、まずお2人が変化を感じた節目というと、どこになりますか?
草森 パッと思い浮かぶのは「幻魔大戦」かな。それまでのアニメーションって、「リアル」であることを別に追求してこなかったと思うんです。でも、あれを見て、「リアル」を追求していいんだと思った。「アニメでこれをやっていいんだ!」っていう、インパクトがありましたね。
木村 うんうん。わかる。
草森 劇場でパンフレットを買って、それを見ながら仕事をしていた覚えがあります。それからもう、使う絵の具から変わったんですよね。それまで「昼色」「夜色」みたいに決めて、大体シーンの時間帯に合わせてこの辺りの絵の具を使う……みたいな選び方をしていたのを、もっと絵の具の数を増やして、どんどん色も混ぜてつくって、名前が何色になるのかわからないような色で塗りはじめた。あと、木村さんたちはその前からやってたと思うんですけど、絵にさびやシミを描き込んでもいい、そのほうがカッコいいってことにも気づかされました。自分の仕事だと、「アリオン」のときにその方向性で「リアル」を追求できたのは、楽しかったですね。

──「幻魔大戦」は当時の新宿の街並みが登場しますよね。
草森 そうそう! 今見てもこの感じはわからないと思いますけど、当時は本当に、あの美術が写真みたいに見えたんですよ。で、後半に登場するニューヨークの美術は、男鹿(和雄)さんが全然違う雰囲気でやっていて、それもまた「すごい!」と思った。新宿とニューヨーク、全然違うけど、両方ともカッコいい。こういう美術を描けたらいいな、どの会社に行ったら描けるんだろう?みたいなことをずっと考えてました。
木村 ああいうのは、りん(たろう)さんが監督だからやれたんだろうね。シーンごとに美術の雰囲気が全然違っても受け入れてくれる。それもあって、あのころのマッドハウスのつくるアニメは本当に変わってた。ほかにそんな場所はなかったな。当時は小林プロの近くにマッドハウスがあったんだけど、「怖いから近づいちゃダメだ」みたいなことをよくいってた(笑)。

──何せ名前からして「狂気の家」ですもんね。
木村 男鹿さんが「幻魔」のために入ってからは、多少その感じが薄れて遊びにいけるようになったけども、でもやっぱり混沌としてて、小汚くて、恐ろしかった。
草森 人間関係もですよね(笑)。
木村 そうだねぇ(笑)。個性的な人の集まりで、不思議なところだった。
草森 とがってる人しか入れない印象がありましたよ。
木村 本当に。まともだとちょっと無理かもしれない。みんな、孤独をいやすためにハムスターを飼ってたもんね。マイハムスターを。

──え、スタジオで飼ってたんじゃなくて、ひとり1匹ですか!?
木村 そう。だからスタジオのいろんなとこからカラカラカラカラ……と回し車の音がする(笑)。でも、それくらい個人の自由を尊重してたというか、お互いのやることに構わなかったから、ああいう個性的なアニメができたんでしょうね。確かに草森さんの言うとおり、男鹿さんから「幻魔」の美術を見せてもらったときは、「すごいな!」と思った。「幻魔」は椋尾篁さんの絵も、それまでの仕事と全然違うんだよね。
草森 違うよね。
木村 なかなかあの、地塗りでフワッと描いた後に細かく描き込んで行くような描き方ってできないよね。同時期にそういう、言ってしまえば「派閥が違う」ような人たちが一箇所にいて、それぞれに変わったことをやろうとしていたのがおもしろかったんだろうな。で、その後の「AKIRA」で、その路線がまたひとつ強調された感じではありましたね。アニメの映画のつくり方がまた変わったというか……たぶん「幻魔大戦」はマッドハウスがあったからできた映画だけど、「AKIRA」は実質「AKIRA」をつくるためだけに会社をつくったでしょう? それがまた、新しさを生んだんでしょうね。
草森 そういう会社って、人材育成があんまり関係ないですもんね。
木村 まるっきり関係ないね。
草森 そこを考えないでやる会社は違いますよね。
木村 「七人の侍」みたいな感覚で、すごい人だけを集めて……というか、安く連れてきて、「かってにしていいよ」みたいなことをやる(笑)。美術に限らず、「AKIRA」は「とにかくこの作品をやりたいんだ!」という思いだけで若い人が参加してる感じがあった。大友克洋さんという人に求心力があって、スタッフ全員が「あの人のマンガを自分でも描きたい!」と思いながら、アニメーションにしているというか。作画のほうだと大友さんだけじゃなくて、なかむらたかしさんと森本晃司さんもいて、そっちの求心力もまたあったと思うし。
草森 美術は本当に、いろいろな会社から集まってやってましたよね、「AKIRA」。
木村 最終的に水谷(利春)さんと大野(広司)さんのスタジオ風雅がメインでやると決まってからもそうだし、それ以前も結構いろいろありましたしね。それこそ(山本)二三さんが試しにやってた時期もあったりとか。最初から「絶対こうだ!」という美術の方向性があったわけではないけど、でも、大友さんのマンガの絵はもう完成されてるので、そこがひとつの基準になる。そこに合わせられる人が珍しい時代だったんじゃないですかね。そもそも始めたときは、「できるわけねえだろう」って誰もが思っていたわけで。
草森 でも不思議なもので、一回あれができちゃうと次はそれが基準になる。
木村 そうそう。そういう意味で「AKIRA」は大きかったよね。
草森 「AKIRA」ってビルの窓がひとつひとつ、ちゃんと描いてあるじゃないですか。あのころのアニメーションの背景で、そういうものはなかった。線をぴゅっぴゅっと描いて、何となくグラデーションになっていればそれでいい、みたいな感じ。それを「これからは窓をひとつひとつ描かなきゃいけないんだよ」って、提示された気がしましたね。
木村 そもそも、描き込むにはレイアウトがちゃんとしてなきゃいけない。「AKIRA」以前に、そんな正確なレイアウトが来たことないから。
草森 うんうん。見たことなかった。
木村 だからそれまでの映画の仕事って、ギャランティもあくまでTVの倍でしかない。実際の仕事量としてもその感覚のものだったけど、「AKIRA」以降はまるっきり違う感覚になった。
草森 その少し前から、一部の美術スタッフが「劇場クラス」と呼ばれるようになる流れがありましたよね。
木村 そうね。
草森 それ以降は、劇場作品には大体いつも同じ名前の人が参加してる、同じ人がいろんな劇場大作を渡り歩いているイメージができた。だからTVの仕事をやっていると、「早くああいう仕事に行きたいなぁ」と思いましたよ(笑)。
木村 で、一方で、急にガイナックスが出てくるんだよね。「王立宇宙軍 オネアミスの翼」が出てきたとき、それまでと全然違う流れのところから、「俺たちだってこういうことができるぜ!」と言われた感があった(笑)。
草森 あれは突然変異ですよね。僕たちの近いところにいた人では小倉さんだけが参加していて、あとは全然知らない人たち。そして、大きなイメージとしては「AKIRA」と同じ描き込みの多い美術なんだけど、こっちはさらにどうかしてる。
木村 あれは若くないと無理な仕事。見てる分には楽しいけど……。
草森 「やれ」って言われたら……。
木村 もうやだよね、あれは(笑)。でも当時は、そもそもなかなかそういう描き込むタイプの美術をやれる機会がなかった。それが「オネアミス」「AKIRA」の辺りで空気が変わって、それこそ俺は草森さんのやった「アリオン」の後、同じ安彦(良和)さんが監督した「ヴイナス戦記」でそういう美術をやることになった。いろいろなところでいろいろなものが新しく動きだしていた時代だったなと、振り返ると感じますね。だから大変ではあったけど、描いていてとにかく楽しい時代でもあった。「できるわけねえだろう」と思っていたようなことがさ、やりだすと意外と描けるようになっていくというか。
草森 それなんですよねえ。誰かが描いたものを見ると、「あ、描けるんだ」って思っちゃう。変な話、写真を見せられても「描けるんだ」とは別に思わないんですよね。でも誰かがそれを絵にすると、「ああ、描けるんだ。じゃあ、自分もできるかもしれない」と感じてしまう。その最初の一歩を描く人が、やっぱりすごい。僕たちの周囲では、それは「オネアミス」や「AKIRA」だったな、って。

──めちゃくちゃおもしろいですね。
木村 またね、描いた人が知り合いで、出会ったころはそんな仕事をするとはまったく思ってなかったわけですよ。ペーペーのころにボロクソに言われるのを見ていた人がすごくなるのを見ると、うらやましくもあり、気になるところもありで、そんな理由でも影響を受けていくわけです。そうして実際、草森さんもりんさんの作品をやって、俺も大友さんと仕事をやりだすし。だから草森さんが「メトロポリス」をやっていたとき、後輩を連れて結構見学に行かせてもらったりもしましたね。仕事場が近場だったこともあって、「すぐ近くでこんなすごいものがつくられてるんだよ」って、若い子たちに見せてあげたくて。俺たちにとっての「AKIRA」のような異様な美術の世界が「メトロポリス」にはあったから。特に美術設定は、草森さんがひとりでつくり上げたとんでもない世界観を見られた。

──草森さんが「AKIRA」の衝撃から、その後の「機動警察パトレイバー 劇場版」や劇場版「X -エックス-」などの仕事を経て「メトロポリス」に至るまでには、どんなことをお考えになられたんですか?
草森 「パトレイバー」「GHOST IN THE SHELL/ 攻殻機動隊」での描き込むタイプの美術の仕事を経て、「X」で初めてりんさんに美術監督として呼ばれたとき、最初に思ったのは「よし、死ぬほど描き込んでやろう」だったんです。ただ作業期間が1年しかない。そこで仕事の方法論を初めて考えました。


気になる続きや、お2人が就職したくらいのエピソードは、発売中のニュータイプ2024年4月号にて完全版を掲載。ぜひご覧になってください。

【撮影:大川晋児/取材・文:前田久】

●くさもり・しゅういち/'61年生まれ、タロハウス所属。主な参加作品に「イノセンス」「メトロポリス」「PSYCHO-PASS サイコパス」(美術監督)、「PLUTO」(美術設定)など 

●きむら・しんじ/'62年生まれ。主な参加作品に「鉄コン筋クリート」「血界戦線」「ドロヘドロ」(美術監督)ほか。4月放送開始「怪獣8号」にも美術監督として参加

この記事をシェアする!

MAGAZINES

雑誌
ニュータイプ 2024年5月号
月刊ニュータイプ
2024年5月号
2024年04月10日 発売
詳細はこちら

TWITTER

ニュータイプ編集部/WebNewtype
  • HOME /
  • レポート /
  • スタッフ /
  • 間近で感じた背景美術の転換期――Creators Dialogue 2024 草森秀一×木村真二対談 /